エステル記は、ペルシア帝国在留ユダヤ人に突然降りかかった滅亡の危機が、大どんでん返しによって回避されるという胸がすく物語です。そしてその立役者がエステルです。時の王クセルクセスは、有力者や諸州の首長たちを王宮に招いて大宴会を催します。王は王妃ワシュティの美しさを参加者に自慢しようと呼び出しますが、王妃は「私は見世物ではない!」と言わんばかりに応じません。王は憤り、侍従たちの進言に従いワシュティを退け、新しい王妃候補を探し始めました。一方、エステルは幼い頃に両親に先立たれ、敬虔な信仰者である叔父モルデカイの養子となり育ちました。エステルは容姿の美しい娘でした。よって王妃に選ばれました。『人は見た目が9割』という新書がありましたが、やはり容姿が決め手なのでしょうか、であったら私は太刀打ちできません。やがてエステルは王の側近ハマンが仕掛けた、ユダヤ人滅亡計画を命がけで阻止することになります。その時にモルデカイがエステルに言った言葉は有名です。
「あなたがこの王国に来た(王妃の位についた)のは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」(4:14)。
エステルは使命に立ち上がりました。そのためにエステルの容姿は用いられました。しかしそれだけではなく、主なる神への信仰と、モルデカイはじめ在留ユダヤ人共同体により、エステルは使命に歩むことができました。美しい容姿は賜物です。私にも私なりの賜物が与えられています。エステルが王妃としてペルシア王宮に置かれたことも「主の賜物」と言えるでしょう。であるなれば、私が今置かれているところも「主の賜物」です。そして私も主なる神への信仰と、現代のモルデカイを擁する教会共同体が与えられています。使命は、賜物(今置かれているところの自分自身)+信仰+教会共同体によって明確になるのだと教えられました。あなたも私も、美しい「現在のエステル」だということです。