バビロンのネブカドネツァル王は夢を見て、その夢に心が騒ぎ、眠れなくなりました(ダニエル書2章)。そこで王は呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼び寄せ、その夢の意味を告げるように命じます。呼ばれた知者たちは待っていましたと馳せ参じ、王の夢を解き明かそうとします。王に認められる絶好の機会ですから。しかし当然ながら、彼らの心には王からの承認、栄誉、報酬を得るというバイアスがかかり、王に喜ばれるよう解き明かそうとします。王もそのへんは見抜いていて、彼らに夢の内容は告げず、そのうえで夢の内容とその意味を言えと難題を命じました。それにはさすがの選り抜きの知者たちもお手上げです。すると王は大いに怒り、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じました。さて、そこにダニエルの登場です。ダニエルは見事に王の夢を言い当て、その意味を解き明かし、そこからダニエル書は展開していきました。
ダニエルはなぜ王の夢を解き明かすとことができたのでしょう? もちろんダニエルは王の王である主に仕える信仰があったので、忖度を払拭することができたのでしょう。しかしもう一つ言えるのは、ダニエルが外国人であったからではないでしょうか。ダニエルはバビロンに侵略されて捕囚として連行されてきたユダヤ人です。だからこそ真実を言い当てることができるのでは。バビロンの選り抜きの知者であっても、所詮「井の中の蛙」です。皆さんも外の人の意見やことばにドキッとした、なるほどと納得した経験があるのではないでしょうか。信仰をもって間もない方の祈りを聞いて、心が洗われるような経験をしたことがあるのではないでしょうか。特に、子どもの一言や、弱さの中にある人の一言は本質を突きます。その道の知者の意見は大切です。しかし時に、主は、外の人、小さい人、弱い立場の人々を遣わし、眠れなくなるあなたの夢を解き明かされるのです。彼らは主が遣わされた御使いなのです。