2022年8月14日

使徒15章、パウロたちによって異邦人宣教が進むとある人々がユダヤから下って来て「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1)と教え、パウロとバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じました。宣教が進むと衝突も起こります。これまでの神学や伝統や習慣と、新しい時代に新しく起きていること、そして更新された神学との間で。ひと昔前の日本の教会では、讃美歌とワーシップソングの対立と論争がありました。今後はLGBTについての論争がより現実的になるのではないでしょうか。

さて、割礼論争の解決のために対立する両者が相まみえエルサレムで会議が行われました(4-21)。先ず、この問題を「主イエスの恵みによる救い」という共通の神の視点で見つめ、次に、異邦人宣教で神がなされた実際の証を聞き、最後に、この問題を聖書から検証しました。結果、躓きを与えないための幾つかの注意点を補足したうえで、「異邦人に割礼を求める必要はない」という結論に至りました(22-29)。この解決方法は私たちの指針です。宣教が進むと衝突も起こりますが、宣教の新しい扉も開いったことも「使徒の働き」と「キリスト教史」から教えられることです。16,17世紀のカトリックとプロテスタントの宗教戦争は最たる一例です。

そのような中、『もしイエス様が市長だったら』(著者ボブ・モフィット)の中の一文が心に響きました。えてして私たちは過去の教会や宣教師たちの「欠けていた点」を上から目線で見つめて批判します。しかしボブ師は言います。「次世代の主のしもべたちが、現在私たちのしていることを振り返った時、同じように彼らも、「今はまだ私たちには隠されている事柄」が欠落しているのに気が付くでしょう。私は、犠牲を厭わず全世界に出て行き、数えきれのほどの地域において神の救いの恵みを宣べ伝えた、前世代の主のしもべの方々に感謝しています。」(7章:教会と今日の世界/P160)。本当にその通りです。

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