2020年1月5日

2020年が始まりました。今年はどんな年になるでしょう?私の心には昨年の霊修会から響き続けている一つのみことばがあります。それはエペソ書が述べる聖書の「奥義」です。

「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」(エペソ1:10)

2020年もこの「奥義」が着実に実現していくということが、聖書に立つ私たちの見るべきところではないでしょうか。そして、それは世界の動向を見てもうなずける話です。先日、NHKの番組の中で世界的に著名な経済学者が「世界は一つになっていく」と言っていました。近年「持続可能な社会」という言葉をよく耳にするようになりましたが、いよいよ切実になってきた地球環境の危機は、各国を一つにさせ、もはや、自国や自社の利益だけを言ってはいられない世界となりました。余談ですが、“One Team”を掲げ、私たちに大きな感動を与えてくれたラグビー日本代表チームは多国籍チームでした。今年はオリンピックイヤーです。オリンピックも近い将来国対抗の意味をなさなくなるのではと思ったりもします。さて、新年早々ちょっと躊躇するのですが、しかし私たちが無視をしてはならないこととして、旧約の預言書、主イエスの終末の教え、ヨハネの黙示録が共通して教える、キリストにあって一つとなる奥義へのプロセスは、「試練、患難をとおって」であるということです。厳かです。私たちはいよいよキリストを仰ぎ見て歩まなければなりません。先程のエペソ書のみことばはこう続きます。

「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」(エペソ1:11,12)

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