2022年5月1日

詩篇91篇の最後の神のことばが心に留まりました。

「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる。~ わたしは 彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる。」(14-16)。

「彼」がだれだかわかりませんが、神の内には、彼のことを助けて上げたい、祝福したいという思いで満ちています。その理由は「彼がわたしを愛しているから」と神は言われます。彼はどのように神を愛したのだろう? 私は神をどのように愛しているだろうか? 91篇は次の告白から始まります。

「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。私は主に申し上げよう。「私の避け所、私の砦 私が信頼する私の神」と。」(1,2)。

「いと高き方の隠れ場」、これは公の場ではなくプライベートルームです。主イエスも、祈るときは会堂や大通りではなく、家の奥の自分の部屋に入って祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくだると教えておられます(マタイ6:5,6)。大事なのは、公の場ではなくプライベートルームです。ある方が、オンライン礼拝の時に、ちょっと家事の用事で席を立ったそうです。すると未信者のご家族の一人が、「神様を礼拝している途中にそんなことをしてよいのか、教会の礼拝ではしないでしょうに」と注意され、ハッとさせられたそうです。オンライン礼拝、ついついパジャマのまま、寝転んで、または食べながら・・・。私たちは公の場では装いますが、プライベートルームでは怠惰です。しかし「彼」は、「いと高き方の隠れ場」「全能者の陰」で、つまりだれも見ていないところでこそ神への愛を表しました。神がそのような彼を助けて上げたい、祝福したいと思うのは当然です。はたして私は、だれも見ていないプライベートルームで、神様にどのような愛を表しているだろうか?

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