2022年5月8日

『もしイエス様が市長だったら』(ボブ・モフィット著/陣内俊訳)、第二部の序章にある「教会による社会の変革の4つの前提」が心に留まりました。前提1:この世界は深刻な崩壊の中にあり、人類の英知や物資的資源でその破れを繕うことは不可能である。前提2:国の癒しは、神が超自然的に介入することによって、また神の民がその召しに従順に応答し、神の御心に沿っていきることによってもたらされる。 確かにロシアのウクライナ侵攻を見ても、他にも世界中で進行する様々な崩壊を見ても、私たち人類がその破れを繕うことは不可能であることを実感します。よって祈りが生まれます。「神が超自然的に介入すること」に希望を託します。前提3:聖書は私たちの癒しのために与えられた神の啓示である。前提4:教会は、原罪によって傷つき崩壊した万物を癒すという神の御心を成し遂げるための主要な執行機関である。 しかしボブ氏は以下を追記します。

「キリストの再臨のときまで、神のご計画が完全に成就されるのを見ることはないでしょう。そのときまで、教会は歴史における神の目的である「万物を御自分と和解させる」(コロサイ1:20)

ことを神の代理として実行し追い求めるのです。」 私たちは「ああすれば、こうなる」と考えますが、「ああしたが、こうならない」のが現実です。しかし「そうこうしているうちに、こうなった」も然りです。私たち教会がこの地上に「神の国」を建て上げることは不可能です。しかし、かしらなるキリストに従い、私たちはなお破れの狭間に立ち、破れを繕います。そこで苦悩します。しかし重荷を負い過ぎません。御心を成し遂げられる主を見つめていますから。キリストの再臨を待ち望んでいますから。私たち教会は人々に神の国を示す「窓」なのです。

「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。」(マルコ4:26,27)

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