詩篇77篇は、弱り果てた筆者の神への叫びです。「私は神に声をあげて、叫ぶ。~ 神を思い起こして、私は嘆き悲しむ。思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。あなたは、私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れ、ものを言うこともできません。~ 主の恵みは、とこしえに尽き果てたのか。神は、いつくしみを忘れられたのか。怒って、あわれみを閉ざされたのか。」(1-9)。悲痛な祈りです。しかし、10節のみことばを契機に筆者の祈りは変わります。「私はこう言った。「私が弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったからだ」と」(10)。このみことば以前の焦点は「私」でした。しかしこれ以降の焦点は「神」です。私が弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったから。つまり、私が弱り果てたのも「神の主権」にある。私は神を見つめる、主はどのようなお方か?「私は、主のみわざを思い起こします。~ 私は、あなたのなさったすべてのことを思い巡らし、あなたのみわざを、静に考えます。神よ、あなたの道は聖です。~ あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを。~ あなたの雷の声は、戦車のように鳴り、稲妻は世界を照らし、地は震え揺れ動きました。あなたの道は、海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。あなたは、モーセとアロンの手によってご自分の民を、羊の群れのように導かれました。」(11-20)。
2021年が閉じます。私たちも77篇の筆者のように、「私」から「神」へ焦点を切り替えたいと思います。私たちの神は、イスラエルの民を出エジプトさせ、海を分け、その間を導かれた主です。2021年の主のみわざを静に考えましょう。主はどのようなお方であるのかを確認し、御名をたたえましょう。
「-主のことば- 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8,9)。