2020年10月25日

詩篇45篇は「王の婚礼」を描き、それは「キリストと教会」の関係を指し示しています。詩人は、花婿が威厳と威光に満ち、神から油注がれた方であるかということを卓越した文章で描きます。そしてその頂点が花嫁との婚礼です。つまりキリストと私たち教会の婚礼です。詩篇45篇を読んで、自分が「キリストの花嫁」であることをあまり意識していないことに気づきました。私がフリルのついた白いベールを被っている姿はちょっと、あれですが。さて、詩人は花嫁に向かって命じます。

「娘よ、聞け。心して耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。そうすれば、王はあなたの美しさを慕うだろう。彼こそあなたの主。彼の前にひれ伏せ。」(詩篇45篇11節)

「父と母を離れ、」(創世記2:24)

ということです。よく結婚式の説教で、妻は、あばら骨が心臓の鼓動を聴くように夫の一番近くに寄り添う存在だと話します。私もそのような存在なのです。私の妻は、私の思いや好みを読んで先回りしてサポートしてくれます。また私と結婚してから料理を始め、今やその腕前は逸品です。私たち教会はそのようなキリストの花嫁なのです。確かにそれは美しいです。先日、ある美しい路地で妻が写真を撮っていたら、後ろから来た若いカップルの男性の方が「ここは写真禁止だよ」と声を荒げに注意してきました。妻は「ごめんなさい。知りませんでした。教えてくれてありがとうございます。」と答えたら、その男性は「表示してあるだろうが、クソだな。」と言い放ちました。クソ? 私はカチンときて、「おい兄ちゃん、いま何て言った?」と立ちはだかりかけましたが、グッと飲み込み、ひと睨みに留めました。主イエスは、ののしりられても、ののしり返さず、私たちに模範を示されました(Ⅰペテロ2:23)。しかしその時は模範というよりも、ののしられても、ののしり返さない中にあるキリストの心を覚えました。私たちは、キリストの心に一番近くある、あばら骨なるキリストの花嫁です。

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