2020年10月4日

「鹿が谷川の流れを慕いあえぐ~」で有名な詩篇42篇と次の43篇は、連続した一つの詩篇で、ヨルダンの北方に捕囚となった神殿歌手(賛美奉仕者)の嘆きの歌です。神の家、神の祭壇から遠く離れた異教の地で、42篇では「生ける神を求めて、渇いています。」、43篇では「神よ、私のために(不敬虔な民を)さばいてください。」と切望しています。不敬虔な民の間で敬虔に歩むとは、大きな戦いです。欺きと不正の世界、しかしその渦に巻き込まれず、主なる神を見つめ、畏れ、従っていきます。しかも彼は不正に黙っていません。訴えています。当然先方は彼を虐げます。彼はその苦悩を主に向かって「なぜ、あなたは私を退けられたのですか。なぜ、私は敵の虐げに、嘆いて歩き回るのですか。」と吐露しています。これは、敬虔なクリスチャンだれしもが経験することです。もう一度言います、不敬虔な民の間で敬虔に歩むとは、大きな戦いです。彼は、神の家に帰りたいと切望します。

「どうか、あなたの光とまことを送り、それらが私を導くようにしてください。あなたの聖なる山、あなたの住まいへと、それらが私を連れて行きますように。こうして、私は神の祭壇に、私の最も喜びとする神のみもとに行き、竪琴に合わせて、あなたをほめたたえます。神よ、私の神よ。」(43:3,4)

神の家に帰りたい、天の御国への望郷、これもこの世にあって敬虔に歩む者の切望です。それは日常でもあります。私たちは週の初め、神の家に集まり、神の家族とともに礼拝します。詩篇42、43篇をよく読むと、神の家に帰りたいとの切願が、彼の、神ご自身への不屈の信仰と希望へと繋がっているのが分かります。

「わがたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。」(43:5)

週の初め、私たちは一同に会して主を礼拝します。そして異郷の地で、敬虔に戦っていくのです。

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