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月別アーカイブ: 2月 2023
2023年2月26日
NHKの番組「こころの時代」で『問われる宗教と“カルト”』と題した宗教学者たちの討論会を観ました。大変示唆に富み、牧師、宗教者の一人として勉強になりました。YouTubeもあるので関心のある方はご覧下さい。カトリック教徒の批評家、随筆家である若松英輔氏は、宗教がカルト化しないために絶対に超えてはならない壁を三つ挙げていました。 ①恐怖の壁。恐怖によって人を縛り付けようとすること。 ②搾取の壁。持たざるものから、その人の生活が破綻するまで何かを搾取しようとすること。 ③拘束の壁。宗教が真の意味で宗教であるならば出入りは自由であるはず、人は信じるだけでなく迷う自由もある、人が立ち止まり、迷い、そして何かを探求することが宗教を信じることによって失われていくのだとしたらそれは残念。 浄土真宗僧侶で宗教学者である釈徹宗氏はカルトと宗教を見極める手段として、絵画で風景を捉えるときの手法「近景・中景・遠景」を挙げていました。近くを描くときは近景、遠くを描くときは遠景、その間を描くのが中景です。それを宗教に当てはめるなら、「私自身」の問題は近景、逆に「聖なるもの」「聖なる領域」は遠景、そして聖なるものと自身が直結するのが“宗教体験”であり、しかしその間に「中景」がある。それは他者や地域コミュニティや文化との関係、さらには宗教間の対話にまで及びます。そして、カルトや原理主義と呼ばれるものは「中景」がとても細くなっていて、「近景」「遠景」が太くなっている、つまり「自分自身」と「聖なるもの」とその関係が重視され、日常としての中間領域(社会との関係)が軽視されています。とても的確な指摘、指標であると教えられました。では、私たち教会と私自身の近景、中景、遠景はどうだろうか? 「中景」を評価することはカルト化を見極めるためのポイントだということです。逆に中景だけが太くなっていたら、それは「世俗化」世に迎合しているということです。バランスが大事ですね。
2023年2月19日
ダレイオス王は優秀なダニエルを太守に任命し、全国を治めさせようとしました。聖書はこう告げます。 「彼のうちにすぐれた霊が宿っていたからである。」(ダニエル書6:3)。 世界にはあらゆる神がいますが、主(ヤハウェ)なる神を信じ従う者には「すぐれた霊」が宿るのです。確かに、そう思います。人は何を信じ、どのような共同体で生活するかによって価値観や世界観が定まります。ダニエルはバビロンの地にあって主を信じ歩みましたが、私たちも日本の地にあって同じ主を信じ歩んでいます。しかしそのようなダニエルに周りは黙っていません。彼らはダニエルを陥れようとダニエルの粗探しをします。しかし何も見つからず、すると彼らは「王以外を礼拝する者はライオンの穴に投げ込まれなければならない」という禁令を定め、王も機嫌よくその禁令に署名しました。ダニエルもその策略をよく分かっていました。しかしダニエルは自分の家に帰り、屋上の部屋のエルサレムの方角にある窓を開けてひざまずき、いつもと同じように日に三度、主の前に祈り感謝をささげました。「ダニエルとライオンの穴の物語」(ダニエル書6章)の始まりです。 しかし、ダニエルはなぜこのような不条理な危機にあっても、このような信仰者であれたのでしょう? その要因の一つは、ダニエルが「捕囚の身」であったからではないでしょうか。捕囚の身であったからこそ、ダニエルはすぐれた霊を宿すことができ、エルサレムに向かって日に三度祈り、主の約束を見つめ、主に感謝をささげることができたのではないでしょうか。旧約聖書のほとんどはバビロン捕囚の時代に完成したと言われています。茫漠とした地の上に「光、あれ」と神が仰せられた創世記も、あの出エジプト記も、バビロン捕囚のイスラエルの民にとって「神のことば」なのです。捕囚、困難の中にあってこそ信仰は練られ、すぐれた霊を宿し、神の栄光が現わされていくことを覚えたいと思います。
2023年2月12日
トルコ・シリアで大地震が起こりました。甚大な被害に胸が痛みます。私は今、毎週火曜夜のオンライン・アラビア語講座を受講していますが(NGCからは関口さんも)、講師はシリア難民のアハマドさんです。先週のクラスではシリアの被災状況を話してくれました。アハマドさん家族の故郷は甚大な被害を受けたアレッポです。幸い親族や知人は無事だったそうですが、マイナスまで冷え込む夜に野外で寝泊まりしているそうです(8日現在)。そもそもシリアは地震がほとんどない国で、建物の耐震処置は全くなされてなく、よって多くの建物が倒壊しました。しかし最も深刻なのは北西部の都市イドリブで、そこは難民も多く、しかし彼らはテントではなく、鉄骨の入っていないコンクリートで造られた即席建物に住んでいるため、多くの犠牲者が出ているそうです。さらに、イドリブ県はトルコが支援する反政府勢力が治めているため、シリア政府の救援は全く届いていないそうです。 ご承知の通り、私たちが見聞きする報道の殆どはトルコの状況で、日本(アメリカ側)の救援隊もトルコに派遣されています。しかし私は、こうしてシリア人からシリアの状況を聞いています。感慨深い気持ちになりました。アハマドさんは震災を経験する私たちにアドバイスを求めてきました。私はハッと気づきました。今回のオンライン・アラビア語講座も、その受講者の繋がりも、元はといえば2011.3.11東日本大震災ではありませんか。震災をとおして、想像だにしなかった新しい出会い、協力、新しい扉が開かれました。私はそのことをアハマドさんに伝えました。震災は苦難の極みです。しかし震災をとおして断絶に回復が生じ、政治が出来なかったこと、教会が出来なかったことが起こっていく、これが私たちの経験です。10年間岩手の震災復興に携わったあんちゃんが中東に遣わされています。思ってもいませんでしたが、あんちゃん岩手10年の経験、私たちの震災の経験が、これからかの地で益とされていくのです。
2023年2月5日
バビロンのネブカドネツァル王は夢を見て、その夢に心が騒ぎ、眠れなくなりました(ダニエル書2章)。そこで王は呪法師、呪文師、呪術者、カルデア人を呼び寄せ、その夢の意味を告げるように命じます。呼ばれた知者たちは待っていましたと馳せ参じ、王の夢を解き明かそうとします。王に認められる絶好の機会ですから。しかし当然ながら、彼らの心には王からの承認、栄誉、報酬を得るというバイアスがかかり、王に喜ばれるよう解き明かそうとします。王もそのへんは見抜いていて、彼らに夢の内容は告げず、そのうえで夢の内容とその意味を言えと難題を命じました。それにはさすがの選り抜きの知者たちもお手上げです。すると王は大いに怒り、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じました。さて、そこにダニエルの登場です。ダニエルは見事に王の夢を言い当て、その意味を解き明かし、そこからダニエル書は展開していきました。 ダニエルはなぜ王の夢を解き明かすとことができたのでしょう? もちろんダニエルは王の王である主に仕える信仰があったので、忖度を払拭することができたのでしょう。しかしもう一つ言えるのは、ダニエルが外国人であったからではないでしょうか。ダニエルはバビロンに侵略されて捕囚として連行されてきたユダヤ人です。だからこそ真実を言い当てることができるのでは。バビロンの選り抜きの知者であっても、所詮「井の中の蛙」です。皆さんも外の人の意見やことばにドキッとした、なるほどと納得した経験があるのではないでしょうか。信仰をもって間もない方の祈りを聞いて、心が洗われるような経験をしたことがあるのではないでしょうか。特に、子どもの一言や、弱さの中にある人の一言は本質を突きます。その道の知者の意見は大切です。しかし時に、主は、外の人、小さい人、弱い立場の人々を遣わし、眠れなくなるあなたの夢を解き明かされるのです。彼らは主が遣わされた御使いなのです。