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月別アーカイブ: 8月 2022
2022年8月28日
使徒6章、教会内の食事のことで苦情が上がり、使徒たちだけでは対処できず、教会の運営面で奉仕する七人を選出しました。その選出基準に改めて注目します。「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」(3)。普通は「その仕事の能力と経験に満ちた、評判の良い人たち」です。さて、選出された七人(現在でいう教会役員)の一人ステパノは「食卓のこと」(教会内)にとどまらず、社会の人々の間でも「大いなる不思議としるし」を行っていました。つまり主を証する仕事ぶりだったということです。すると、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々が立ち上がり、ステパノと議論をします(9節)。「会堂に属する人々」という表現が引っかかります。えてして議論や対抗は「私は~に属している」という意識から起こります。しかしステパノは「御霊と知恵に属して」いました。彼が語るときの知恵と御霊にだれも対抗できません。すると対抗者たちは常軌を逸します。彼らは人々をそそのかしてステパノを陥れるための偽情報を発信させ、最高法院に訴えて偽りの証人を立たせ、「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。」と偽証させました。この不条理な圧倒的な圧力の前にステパノは言葉を発することができなくなりました。しかしどうでしょう。「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(15)。ステパノはここでも「御霊と知恵に満ちた」人でした。教会の食卓に仕える時も、社会の中で働く時も、不条理な攻撃にさらされる時も、御霊と知恵に満ちている。私たちもかくありたいです。では、御霊と知恵に満ちるにはどうしたらよいのでしょう? 使徒たちは「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(4)と言いました。これは使徒たちの「役割」に関することですが、「姿勢」はみな同じです。私たちは「祈りとみことばに専念する」ここから、私たちの内に御霊と知恵は満ちていくのです。
2022年8月21日
朝、私がベランダ菜園の作業にいそしんでいると、妻と息子が「くさい」と言ってきます。私が丹精込めて作っている発酵肥料をくさいと言うのです。確かに匂います。しかしそれは、マックのピクルスの匂いではないですか。今、私は野菜クズ、卵の殻、珈琲カスが愛おしくてたまりません。他にも、摘み取った野菜の芽や葉、何なら道端の落葉でさえ、「これはいい発酵肥料になるぞ」と思ってしまいます。カスが「肥し」になるのだから、なんて魅力的ではないですか!その作業も楽しいのです。ぬか漬けを作るのと変わりません。野菜クズを入れては、微生物を豊富に含んだ『生ごみ処理材』(糠とほぼ同じ)をまぶし、手でかき混ぜます。だんだん発酵してくると、プーンとピクルスの香り、そのままつまんで食べたいくらいです。またそれらから出る残留液もフルーティーで、水で500倍ほどに薄めて植物に散布すると液肥になります。排水口に注ぐと消臭剤になります。微生物群が雑菌を食べてくれますから。もう、パーフェクトです。私が愛おしいと言うのを皆さんわかりますよね。それを妻と息子はくさいと言うのです。しかし、冷静に考えると確かにくさいです。ご近所の迷惑にならぬよう気をつけなければなりません。しかしなぜ私は「いい匂い」なのか? それは私が手間ひまかけて作っているからです。身近であり、愛おしいからです。だから「くさい」ではなく「いい匂い」なのです。匂いってけっこう影響力がありますよね。カレーも鼻をつまんで食べたら何がなんだかわかりませんから。実は、体臭も相手との相性をするうえで重要な役割を果たしているといわれています。 「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」(Ⅱコリント2:15)。 私は妻と息子に香ばしいキリストの香りを放つ者でありたいです。そう願いながら、今日もベランダ野菜作りにいそしんでいます。
2022年8月14日
使徒15章、パウロたちによって異邦人宣教が進むとある人々がユダヤから下って来て「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1)と教え、パウロとバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じました。宣教が進むと衝突も起こります。これまでの神学や伝統や習慣と、新しい時代に新しく起きていること、そして更新された神学との間で。ひと昔前の日本の教会では、讃美歌とワーシップソングの対立と論争がありました。今後はLGBTについての論争がより現実的になるのではないでしょうか。 さて、割礼論争の解決のために対立する両者が相まみえエルサレムで会議が行われました(4-21)。先ず、この問題を「主イエスの恵みによる救い」という共通の神の視点で見つめ、次に、異邦人宣教で神がなされた実際の証を聞き、最後に、この問題を聖書から検証しました。結果、躓きを与えないための幾つかの注意点を補足したうえで、「異邦人に割礼を求める必要はない」という結論に至りました(22-29)。この解決方法は私たちの指針です。宣教が進むと衝突も起こりますが、宣教の新しい扉も開いったことも「使徒の働き」と「キリスト教史」から教えられることです。16,17世紀のカトリックとプロテスタントの宗教戦争は最たる一例です。 そのような中、『もしイエス様が市長だったら』(著者ボブ・モフィット)の中の一文が心に響きました。えてして私たちは過去の教会や宣教師たちの「欠けていた点」を上から目線で見つめて批判します。しかしボブ師は言います。「次世代の主のしもべたちが、現在私たちのしていることを振り返った時、同じように彼らも、「今はまだ私たちには隠されている事柄」が欠落しているのに気が付くでしょう。私は、犠牲を厭わず全世界に出て行き、数えきれのほどの地域において神の救いの恵みを宣べ伝えた、前世代の主のしもべの方々に感謝しています。」(7章:教会と今日の世界/P160)。本当にその通りです。
2022年8月7日
世界的に注目されているデジタルアート集団「チームラボ」の猪子寿之(いのことしゆき)氏のインタビュー番組を観ました。猪子さんの祖母はクリスチャンで、母親は真言宗で、幼少の頃から「人は違う」ということを体感する環境で育ったとのこと。祖母は熱心な福音派の教会の信者で、子どもの頃は祖母に連れられて教会学校に通い、ある時、地球は1万年前に誕生したと教えられたそうです。しかし学校の授業では地球は46億年前に誕生したと習い、そのことを祖母に伝えると、「それはサタンの働きだ」と祖母から言われたそうで、猪子さんは苦笑しながら話していました。私も、あちゃ~と思いました。それは原理主義福音派教会「あるある」です。 時に信仰は断定的、排他的になり、その中にいると周りが見えなくなり、その他のものをサタン呼ばわりしたりします。しかしその弱さは「信者」だけに限りません。痛ましい安倍元首相の銃撃事件がありましたが、容疑者の動機は「家を破産させた宗教団体と安倍元首相がつながっていると思い込んで」と報じました。その真相はわかりませんが、はっきりわかることは、容疑者本人も一つの情報を妄信する「信者」であったということです。今はネット情報溢れる社会、人は一つの情報を断定的に思い込むという弱さがあります。そうなるともう周りは見えず、周りを批判的に見ます。地球誕生1万年説は「創造科学」という天地創造の解釈の一つです。私もそれらの書籍を興味深く読みましたが、しかし地球は46年前に誕生したという科学的見地に立つ聖書解釈もあります。聖書は 「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1) と明確に告げますが、そのプロセスを科学的に示す目的では記されていません。それなのになぜ一つの解釈を断定するのでしょう。先々回ここに挙げた内村鑑三の言葉、「真理は円形にあらず、楕円形である」は大事です。一点軸の同心円ではなく、相反する二点軸を許容する「楕円形」に生きましょう。