月別アーカイブ: 7月 2022

2022年7月31日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する最終回。~人生の目的は品性を完成するにあり~ ある日のがん哲学外来で、会社に勤めている患者さんが職場での悩みを打ち明けました。「辛い治療を終えて薬も効いているから、職場に復帰しました。ところが、私が中心になって進めていた企画はいつのまにかに同僚に任されていました。裏切られた思いです。ちょっと休んだだけなのに、それががんだったからって…。自分が会社からも人生からも用無しになった気がしてショックでした。」井戸の水をくみ上げるかのように、涙が止まらない様子です。私は言いました。「がんになる前の自分が最高だなんて、誰が決めたんですか? 今の仕事が好きなら続けられたらいいじゃないですか。自分で決める人生は、病気とは関係ありませんよ。」 そしてこの言葉を送りました。「人生の目的は品性を完成するにあり」 品性とは、人格であり、人としての品位です。人生の目的は、仕事の成功や世間の賞賛、ましてや、お金持ちになることではありません。今、自分の目の前にあることに一生懸命取り組み、自分の行いによって人が喜んでくれることによって、初めて品性は磨かれていくものです。 後日、この患者さんからメールをいただきました。「上司に自分が休んでいた間、迷惑をかけたことを素直に詫び、仕事をフォローしてくれたことに感謝しました。今の自分のできることは仕事の補佐をすることだと伝えました。すると、『君がいないとうまく進まないことが多かったから、戻って来てくれてうれしい』と言ってくれたのです。これから、人生の目標とする品性の完成に向けて謙虚に生きていきます。」 困難、苦難はがんに限らず誰にでも襲いかかるものです。そのとき、いかに耐えるか、そして「人のためになる」ことにいかに気持ちを向けられるか、耐えることで品性が生まれ、品性を磨くことによって希望が生まれます。

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2022年7月24日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する第四回。~楕円形のようにバランスよく生きる~ 「真理は円形にあらず、楕円形である」と言ったのは内村鑑三です。同心円とは、なんでも丸く包み込むようでいて、実はとても排他的な形です。同心円の社会や組織は価値観や思想が均一的なため、異質のもの、相反するものを内包できません。異物がないのですからスムーズに運びそうですが、いったん異質なものが侵入すると、免疫がないわけですからパニックを起こし、結果的に自浄作用が働かなくなり、組織は滅びてしまいます。それに対して、定点をふたつ持つ楕円形は、健全な生体システムとして機能します。生物の体には、対極的な働きをするものが同居しています。たとえば、自律神経には互いに反対の作用をする「交感神経」と「副交感神経」があり、一方は活動を活発にし、一方では活動を抑えます。同様に、細胞内には「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」があって、通常はバランスを取って、がん化を抑えています。 病気を患ったときやトラブルを抱えたとき、同心円的な考えの人は、悩みそのものよりも「異物のある自分」を受け入れられないことに苦しむようです。「体が悪いばかりか、なんの役にも立てず、自分はしょうもない人間だ」と言って、自分を追い込んでいきます。ですから、私は患者さんに言うのです。「完璧でなくていいんですよ。楕円形のように少々いびつでいいんです。それどころか、ところどころほころびがあってもいいんです。」 楕円形とは共存の精神です。病気やトラブルがない人生はまれでしょう。ならば、病気も込みで人生、いいことも悪いこと込みで人生と考えてみる。まさに楕円形の2点バランスです。不幸があるから対極的な幸せに気づくことだってあります。自信を失うことで謙虚さを得ることだってあります。それは、人としての品性と包容力が高まることではないでしょうか。」  

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2022年7月17日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する第三回。~どうせ人は死ぬのだから~ 私は「人は遅かれ早かれ死ぬ」という事実を冷静に自分に言い聞かせることも、大切なことだと思っています。生命体としての人間は、いつかは老い、死ぬのであり、どんなに富を積もうが、徳を積もうが、死は逃れられません。そして、死んだらしょせん「畳一枚ほどの墓場」と内村鑑三は言いましたが、私に言わせれば、「座布団一枚ほどの墓場」となるにすぎません。こうした諦念を持つと、自分のために物質的な幸せ、お金や地位や名誉、肩書に執着しなくてもいい、生にしがみつくこともない、という分別が生まれてきます。 もう一つ、死生観から学ぶことがあります。もしあなたが高い理想を掲げているのなら、その理想を改めて思い浮かべてください。崇高であればあるほど、それは一代でそう簡単に達成できるものではないでしょう。でも、「自分は死んでも、自分のビジョンは100年後に花開けばいい」と思えたらどうでしょう。そう腹が据わると、理想もより大きく持てるのではないでしょうか。そして、そのために今自分は何をなすべきかが見えてくる。欲張らず、些末なことに一喜一憂しなくなります。 「どうせ人は死ぬのだから」 がん哲学外来で、家族や職場の人間関係に嫌気がさして思いの丈をぶつける患者さんにこの言葉を贈ることがあります。「日常の職場や家族の嫌なことはどうでもよくなるでしょう、どうせ人は死ぬと思えば。それに30秒下を向いて黙ってお茶の飲んでいてごらんなさい。いやな人は自分の前から去っていくものですよ」 しかし、嫌なことはウエルカムだとも考えられます。がん哲学外来では30秒どころか30分という沈黙に耐えられることが求められます。そんなとき私は自分の品性のための訓練だと思っています。訓練に協力してくれていると思えば、いやなことも沈黙もまた楽し、ではありませんか。

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2022年7月10日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する第二回。~がん細胞は、わが家の不良息子と同じ~ 小さい頃は明るく素直だったわが子が、悪さをする友だちと連れ立って手の負えない不良少年になってしまっても、親は不良息子を追い出すことで家庭を良くしようとは決して考えません。不良息子をかつてのわが子に、つまり、悪さをしない子に戻すことを考えるでしょう。そのためには、不良息子を取り囲む周りの環境を改善して、わが子の良い資質、本来の使命を思い出させることです。なぜなら人間形成のために必要なのは、物理な環境要因よりも人間関係における環境要因だからです。 がん治療も同様です。がん細胞を殺すのではなく、最終的には正常な状態に戻していくことが必要です。それまでは不良息子の更生を忍耐強く見守るように、がん細胞の状態に一喜一憂しないいで「共存」していくことを肝に命じます。がん細胞のリハビリテーションができる環境をどのように作っていくかが課題となるでしょう。私は、医療としてのがん治療と同時に、人間関係や自分自身の考え方の改善が、共存の環境を作るうえで大きな役割をなすものと考えています。それは自分がいちばん大事で自分のことしか考えない状態から、自分よりもさらに大切なものがある、という他者に目を向ける考えに修正をしていくことです。では、自分よりも大切なものとはなんでしょう。それは、愛しかありません。いのちより大切なものも、また愛だと私は考えています。「利他の心」とも言われますが、がんとの共存環境は、いちばん大切なものを自分から他者へ、さらには普遍の愛へとシフトすることで得られるのだと思います。さて、自分のことしか見ていなかった「不良息子」は、他者への愛という環境の中で、本来の使命を忘れない生き方を続けていってくれると信じたいものです。  

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2022年7月3日

7月は5週にわたり、前回ご紹介した樋野興夫氏の著書『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』から、幾つかの文章をご紹介します(一部抜粋、編集)。『あなたには死ぬという大切な仕事が残っている』 ある日、がんが体中に転移して手の施しようがなく、余命宣告をされた患者さんが来ました。この人は、残された時間を絶望の中で待つことに耐え切れず、自殺を図ったけれど死ねなかったと言います。気力を失った表情でぽつりぽつりと話す患者さんに、私は全身全霊で言いました。「それでも、あなたは死ぬという大切な仕事が残っていますよ」 しばらくの間、その人はうつむいたままでした。私は黙って待ちました。「わかりました。なんとか頑張ってみます」突然、顔を上げてそう言ったのです。私には、患者さんの背筋がすっと伸びたように見えました。人間の尊厳にふれるような深いところで、自分という存在や今確かにあるいのちを思い出したのかもしれません。がんと「向き合う」ことから、がんに自分を「ゆだねる」ことに変えられたとしたら、きっと少しだけ心の深呼吸ができたはずです。 家族と一緒に来る患者さんに対しても、私は遠慮しないでこの言葉の処方箋を口にします。「死」という言葉に動揺する家族もいます。それでも、患者さんの多くは、落ち込んでいた表情がパッと変わるのです。なすすべもないと思っていた自分に「大切な仕事」が与えられているとは、まさかと思うのではなないでしょうか。死に向かってどう生きるかという最後の仕事を立派に務めあげたいという決意が、やがて患者さんを高揚させます。人間は、人生に期待すると簡単に失望するけれども、人生から期待される存在という生き方に変わっていく気づきの瞬間があります。それは人生の役割、使命感への気づきであり、死ぬ瞬間まで自分を成長させるこができるという学びでもあるのです。間違いなく、「いい覚悟」で生きることにつながると私は信じています。

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