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月別アーカイブ: 2月 2022
2022年2月27日
先日、息子の友だちのママさんが、「ちょっとこれ見て下さいよ」とニコニコしながらスマホの画像を見せてくれました。それは、「足」という漢字を使って短い文章を作りなさいという問題の息子さんの回答で、「足くす」と書いてありました。「足くす」??? 皆さん意味わかりますか? 息子さんはサッカーをやっています。そう、「アシックス」です。私たちは大笑いしました。同時に私は、なんて魅力的な感性なのだろうと、感心しました。先日私の息子も面白いことを言っていました。息子の許可を得て書きますが、息子は「今日クラスに転校生が来たよ」と嬉しそうに報告してくれました。私たち夫婦は「へぇ~、良かったね。どこから来たの?」と聞くと、息子は「南門かな」と答えました。??? そして私たちは大笑い。その転校生は小学校の南門から登校して来たのです。そっちかい!しかし、なるほど。子どもたちの固定概念に縛られていない発想は、なんと刺激的なのでしょう。私たち大人の凝り固まった頭をほぐしてくれます。最後にもう一つ、息子が保育園に行っていたときの『保育園だより』に書いてあったエピソードをご紹介します。ある日の午後のおやつの時間、保育園の先生は子どもたちに「今日のおやつは米粉パンのサンドイッチで~す」と言いました。すると子どもたちは大騒ぎ。矢継ぎ早に質問してきます。「どこに入っているの?」「どうして入っているの?」 先生は、「細かく刻んで、中に入っていま~す」と答えました。子どもたちはとても驚いています。パンをよく見て、「見えないよ~」「どうして?どうして?」と言ってきます。ある子は泣きべそです。そして先生は分かりました。子どもたちは「子猫パン」だと思っていたのです。先生はあわてて説明しました。子どもたちは、「ああビックリした」と安心して、みんなで美味しく「米粉パンのサンドイッチ」を食べましたとさ。今回はホッコリ・ボイスでした。
2022年2月20日
詩篇82篇は「権力者」のことを記しています。神から権威と権能を授かった権力者の務めは、弱い者と孤児のためにさばき(政治)を行い、彼らを悪しき者たちの手から救い出すこと。しかし実際の権力者は不正をもってさばき、悪しき者たちの味方をしています。なぜ権力者はこうなのか? それは損得勘定が働くから。自分の利益が優先です。そしてそれは、私も同じです。先日、教会員ではない、ある方からメールが届きました。返信を求めるメールでしたが、私はすっかり忘れてしまい、返信を一週間程遅らせてしまいました。なぜ私は忘れたのか?知人、友人からのメールだったなら直ぐに返信したのではないか…。私の内に損得勘定があります。自分の利益に応じて人との接し方を変えてしまう自分がいます。「彼ら(権力者)は知らない。また悟らない。彼らは暗闇の中を歩き回る。地の基はことごとく揺らいでいる。」(5) 権力者は損得勘定で「力ある者」とつるみ、弱い者を無視する。結果、二極化は進み、社会は腐敗し、環境破壊にまで及びます。最後に筆者は叫びます。「神よ 立ち上がって地をさばいてください。あなたが すべての国々を ご自分のものとしておられるからです。」(8) 神は立ち上がられました。そして御子を世に遣わされました。そこに損得勘定はありません。NPO法人ホサナ、『シンプルライフ』施設長の植松さんから以前お聞きした、ご自身の「献身のみことば」を思い出しました。 「【主】が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただあなたの神、【主】を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽くしてあなたの神、【主】に仕え、~ あなたがたの神、【主】は神の神、主の主、偉大で力があり、恐ろしい神。えこひいきをせず、賄賂を取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。あなたがたは寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。」(申命記10:12-19)
2022年2月13日
水曜朝の青年たちとのデボーション、最初にそれぞれの近況を話すのですが、経一くんが、篠田桃紅(2021年3月107歳没)という美術家のことを話してくれました。その方のことばが印象に残ったそうです。「何もしないのが一番いいと悟るために、人間はあらゆることをする。」その方の晩年の作品を見たいと思いました。きっと驚くほどシンプルなのでは。僕にも描けそうと思うほどに。しかしその一線は、あらゆることをする中で探求し続けてきた答えです。 私たちは聖書を開きました。その日の箇所はヨブ28:20-28でした。28章の最後、ヨブはこう結びます。「こうして、神は人間に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵であり、悪から遠ざかること、これが悟りである」と。」(28) 先程の篠田桃紅さんのことばと重なります。シンプルなことば、しかし背後にヨブの人生、苦悩と探求があります。「知恵はどこから来るのか。悟りがある場所はどこか。」(20) あらゆることをしてきたヨブの叫び、知恵と悟りは自分には無いのだ。ヨブは続けます。「それはすべての生き物の目にも隠され、空の鳥にも隠れている。滅びの淵も、死も言う。「そのうわさは、この耳で聞いたことがある。」」(21,22) このことばに至るまでヨブはどれほどの道を辿って来たのか。その頂で見たものは、知恵と悟りは、自然界にも死にも無い。ヨブは頂の上に神を見ます。「神は知恵の道をご存知であり、神こそ、それがある場所を知っておられる。」(23) 知恵の道、悟りの場所は神のみぞ知る。そして上記の結びに至るのです。人は、知恵と悟りを知り得ることはできない。ゆえに、それらを知っておられる神を恐れることが知恵であり、悪から遠ざかることが悟りなのだ。私は28章の結びのことばが一枚の絵画のように思えてきました。一枚の絵画、その背後に作者の人生、知恵と悟りがあります。その作品を見る者は、琴線に触れ、共鳴し、ときに涙が溢れ、見入る。芸術作品とみことば、どちらも、見る者、読む者を照らします。
2022年2月6日
勉強が「楽しくできる子」と「苦手意識を持つ子」の違いの理由が分かったように思いました。最近妻は夕食の後に、ネットからダウンロードした計算や文字の書き順テキストなどを用い、また宝石のようなご褒美のチョコレートを用意して、15分ぐらい息子の勉強を励ましています。妻曰く、「この時期に楽しく勉強できる習慣を身に付けてあげることが大切。息子が意欲を持って勉強できる方法や問題の解き方を見つけてあげて、勉強する楽しさを体験させている。私も息子に合ったやり方を、あの手この手を変えながら見つけていくのが楽しい」とのことでした。素晴らしい、の一言です。同時に、私の内にはそのような発想が無いことに気づきました。なぜ妻はそれが出来るのか? 妻も母親からそのようにしてもらったからだそうです。なるほど。私にはそのような記憶はありません。 妻には「勉強は楽しい」という価値観があります。学校の成績はいつも上位でした。一方、私の成績はいつも最低でした。努力しようと思ってもできませんでした。そもそも勉強は楽しくありませんでした。学校の勉強は「やらなければいけない、面倒くさい課題」でした。今でも私の内に、その「げんなり感」があります。それが磁石となってか、分かっちゃいるけど、妻のようにするのは難しいです。「格差」はこのようなところからは広がっていくのでしょうか。兎に角、私は妻が息子に勉強を教えている横で「お、計算早いじゃん」「字が上手だわ」と息子を励ましています。幸いなことに、私の心の底には「勉強が苦手でも可能性はある」という妙な自信があります。そのことは親に感謝です。今朝教会で早天をしていると、前の通りを多くの親子が歩いていました。武蔵中学校の受験日ようです。通りには数人の警察官が警戒しています。先日東大で受験生を襲った通り魔事件があったからでしょう。事件を起こしたのは名門高校生でした。「勉強は楽しい」という種を蒔き、水を注いでいく、親と大人たちの取り組みは大切です。