月別アーカイブ: 1月 2022

2022年1月30日

神殿に祈りに来たパリサイ人と取税人のイエスのたとえ話(ルカ18:10-14)から教えられました。二人は宮で祈りますが、義と認められて家に帰ったのは取税人の方でした。しかしどうでしょう、私たちにとってのリアリティーはパリサイ人の方ではないでしょうか。パリサイ人は自分を映す鏡です。「パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』」(11,12)。同じように思ったことはないでしょうか。「あの人のようでなくて良かった」「自分は○○と○○ができているから安心だ」。 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて、己の罪性を嘆きました。彼は罪人です。パリサイ人も罪人です。二人は何が違ったのでしょう。それは「神認識」です。「取税人は胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」(13)。 私たちの神は「あわれみの神」です。取税人は神から遠く離れて立ち、目を天に向けられない程の者にもかかわらず、宮に来て祈りました。なぜなら、あわれみの神だからです。あわれみの神。私はあわれみを必要としています。あわれみの神。神は私にあわれみをかけ続けて下さっています。あわれみの神。ゆえに私は希望を見続けることができます。取税人にとって、パリサイ人にとっても、あわれみの神です。ただ、取税人はその神を見つめましたが、パリサイ人は自分を見つめました。「義と認められる」とは「神を正しく見つめている」ということです。「あわれみの神」これこそ私たちの福音です。あわれみの神ゆえに、私たちは確実に導かれるのです。光が失われることはありません。私たちの前には、キリストの十字架と復活があります。

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2022年1月23日

お笑いコンビ『マシンガンズ』の活動のかたわら、ごみ清掃員を長年している滝沢秀一さんへのインタビュー記事(Web)を興味深く読みました。滝沢さんがごみ清掃員となって衝撃を受けたのはごみの量。ごみ清掃車は1台約2トンのごみが回収でき、1日6回周っているので合計12トン、それが毎日何千台と走っているそうです。日本はごみがあふれている。 また発見もありました。お金持ちってバンバン買ってバンバン捨てるイメージがあったけど全然違う、高級住宅地の方が圧倒的にごみは少ない。滝沢さんは言います。「お金持ちにも「上中下」があると思いますけど、「上の上」はすごいですよ。本当に住んでいるのかっていうくらい少ない。普通の地域でよく出る発泡酒やチューハイの缶は少なくて、木の箱に入ったようなワインのビンがちょっと出るみたいな。自分の認めたもの以外は買わないような感じを受けました。」 そして滝沢さんは決めたそうです。お金持ちの真似をして、ごみをめちゃくちゃ少なくしてやろう、そうすれば自分もお金持ちになれるんじゃないか。 滝沢さんはゴミを減らす工夫を始めました。その中で学びました。買う時に捨てる時のことまでイメージする。滝沢さんは確実に変化したそうです。ちゃんと分別して、ごみを少なくしようと思うと、その先で清掃員がどう回収するのか想像できるようになってくる。ロボットが回収しているわけじゃない。そういった、見えないものを想像できるようになった。滝沢さんは言います。「ごみの3R(リデュース、リユース、リサイクル)ってよく言われますよね。僕はもう一つのR、リスペクトを加えようと言っています。尊敬する、敬意を払うって気持ちがあれば、ごみ問題のいろんなことを解決できるような気がしているんです。」 「お金持ちの真似をして、ごみをめちゃくちゃ少なくしてやろう、そうすれば自分もお金持ちになれるんじゃないか」との考え、とても理にかなっていると思いました。

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2022年1月16日

毎年年末に「今年の漢字」が発表されますが、新年を迎えて、今年の抱負を漢字一文字で表すなら、どのような字になりますか? 私は『間』です。因みに、私の昨年一年の漢字は『言』です。昨年もコロナでしたが、「みことば」が止まることはありませんでした。礼拝メッセージで創世記の講解説教を続けましたが、語る私自身、創世記から、コロナ禍を生きる意義、人生の意義というものを豊かに語られました。聖書のみことばによって己の歩みや人生が照らされていく、これこそ教会の存在意義であると、コロナ禍ゆえに一層認識しました。また昨年は、私の「ことば」が成長したことも実感しました。これまでの人生と牧師の歩み、様々経験や学びなど、培われてきた幾つものチャンネルがピピッと繋がり、カチッと「ことば」となる、そこには話し方や話すタイミングも含まれますが、そのような経験を幾度となくしました。6年以上毎週ボクシ・ボイスを書き続けてきた成果もあるのでしょう。ということで、私の昨年の漢字は『言』です。 そして、なので、私の2022年の漢字は『間』だと思いました。いや、その迫りを受けました。今年こそ、コロナも落ち着き、人と人の「間」に「言」をもって入って行く一年でありたいです。それは「言」で満足して落ち着いてはいけないとの自戒の念も込めています。「間に入る」ことは必要ですが、時に労力がいり、苦労があります。しかしそこで得られる充実感や喜びはかけがえのないものです。昨年、私は、信仰生活の基礎養育のために作成したテキスト『弟子の歩み』(全8課)を改訂しました。また、伝道のための聖書全体を学ぶテキスト『神のものがたり』(全8課)を作成しました。今年はそれをより実践し、また私だけでなく、信徒の皆さんも導くことができるよう養育に努めます。牧師の仕事である「聖徒たちを整えて」(エペソ4:12)に尽力し、「あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)との主のご命令に、ともに前進してゆきたいと思います。

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2022年1月9日

 クリスマスの後の出来事の「ヘロデ王」と「王なる主イエス」の対比(マタイ2:13-18)から語られました。ヘロデ王は、ユダヤ人の王として生まれた方はどこか?と東方の博士たちから尋ねられると、動揺し、その幼子の居場所が突き止められなくなると、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子を皆殺しにしました。酷い話です。しかしこれこそ「王」の強さではないでしょうか。王は自分が王であり続けることに全力を注ぎます。そしてそのしわ寄せが弱い人にいく。経済の二極化しかり、いや、お前はどうなのか? 良い思いをしたいと駆り立てられる背後で、弱い人が寂し思いをし、犠牲になっている、そしてそのことに気づかない、想像だにしない、そんなことはないだろうか。 では、「王なる主イエス」はどうされたか。ヘロデ王と対決した? いや、主の使いがヨセフに夢で現れ、「エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。」と命じ、ヨセフとマリヤは幼子イエスを連れてエジプトへ逃れました。聖書は告げています。エジプトに逃げることは「「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と語られたことが成就するためであった。」と。逃げることが「主のご計画」でした。そして、そのご計画の最終地点はゴルゴダの頂の十字架でした。王なる主イエスはヘロデ王と対決せず、十字架でご自身をささげられました。それが勝利であったことは言うまでもありません。 さて、私はどうか?あなたはどうか?「ヘロデ王」に連なる者か?それとも「王なる主イエス」に連なる者か? 私は、自分が王であり続けることに全力を注ぐ者ではなく、ヨセフのように、己に語りかけられるみことばに聞き従う者でありたい、たとえそれが「対決から逃げる」ことであったとしても。たとえその時は悔しくとも、主のご計画は成し遂げられます。王なる主イエスに連なる者として、「自分をささげる勝利」を味わう2022年でありたいと思いました。

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2022年1月2日

明けましておめでとうございます。星野富弘さんの『渡良瀬川』という詩をご紹介します(一部抜粋)。 「私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。まだ小学生の頃だっただろう。岸のそばの浅いところでピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは引き返して遊んでいた。ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。私は必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろうと暴れた。しかし川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。水に流されて死んだ子供の話が頭の中をかすめた。しかし同時に頭の中にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。深い所は青青と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。たしかに今、私がおぼれかけ流されている所は私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば必ず浅い所にいくはずなのだ。「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」下流に向かってしばらく流され、見はからって足で川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこには私の股ほどもない深さのところだった。 怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・、流されている私に今できるいちばん良いことをすればいいんだ」その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつ薄れていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから教えられながら生活しようという気持ちになったのである。」

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