月別アーカイブ: 10月 2021

2021年10月31日

先日の児童養護施設実習での心理療法士との会話が印象に残っています。施設には発達障害の症状ある子も少なくありません。なので、そのような子に心理療法士としてどのように接しているのか、とても興味を持ちました。先ずその方が心掛けているのは、その子を障害者というフィルターで見ないということでした。なぜなら、発達障害の症状が「障害」となるかどうかは生活環境によるところも大きく、一概に病気とは言えないからだそうです。 例えば、ケニヤのマサイ族を対象にした調査によると、ADHD(注意喚起・多動性障害)と関連づけられるドーパミン受容体遺伝子をもつ男性の方が、そうでない男性よりも栄養状態が良好でした。つまり、集中力は続かないが新しい刺激に対して行動的なADHDの男性の方が、狩りに向いているということです。マサイ族にとってADHDは「障害」でなく、ライオンも仕留める「英雄の資質」なのです。 日本においても多くの場合、子どもの頃にADHDと診断されても、大人になると症状が軽減するそうです。学校から解放されますから。大人になれば職業や生き方の選択の自由があり、スリルや変化の多い仕事も選ぶことができます。ということは、色々な人がいて多様性に富む東京は、発達障害の人にとって住みやすいのです。確かに、田舎の狭いコミュニティーが「障害」です。思えば、私が10代で飯能(地元)を飛び出し、別世界の北海道に向かった叫びもそこにありました。余談ですが、コロナ禍も、世間体がまぎれる東京の方が気楽に暮らせるようですね。とにかく、その心理療法士の方が、発達障害の症状がある子に対して何よりも努めることは、その子の成育歴はもとより、性格や世界観、特質や特技など、その子のあらゆる面をよく理解すること、そして、大人に見守られているという安心感をその子に持ってもらうこととのことでした。「私は治療するのではなく、道案内をする者です。」と言っておられました。私はとても良い学びをすることができました。

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2021年10月24日

小手川信子姉の次男である俊朗さんが10月16日に召され(享年61歳)、葬儀の司式をさせていただきました。ご家族の了承のもと、「俊朗さんの生涯の物語」をお分かちします。生まれたばかりの俊朗さんは体がとても弱く、やがて「知的障害」と診断され、養護学校に通われました。俊朗さんは父信夫さんのことが大好きで、母信子さんは付きっ切りで俊朗さんの世話をされました。当時はまだ福祉事業が確立しておらず、養護学校を卒業したら集うところがありません。なので、障害の子を持つ親御さん同士で地域の会館を借り、作業所を始めました。補助金制度も確立していません。お母さんたちがアルバイトをして運営費を工面しました。信子さんは俊朗さんに付きっ切りなので他の家族にまで手が回りません。長男である洋輔さんは母を助けました。2011年、俊朗さんはグループホームに入所することができました。信子さんは80歳になるまで、自宅で俊朗さんの世話をされたのです。しかし苦労と思ったことは無かったとのこと。俊朗さんは名前の如く、朗らかで、皆が声をかけたくなるような存在でした。Ⅰコリント12:14-22の「キリストのからだ」が響いてきます。特に、「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」(22)。俊朗さんの存在は、文京区の障害者福祉事業確立の一翼を担いました。信子さんは俊朗さんを通して、他の福祉の働きにも携わるようになり、信子さんの人生を豊かにしました。俊朗さんの存在により、小手川家に優しさと強さが備えられました。兄洋輔さんの妻智子さんは、目を潤ませて言われました。「ときに、妻として母として、至らない自分に落ち込む時がある、しかし信子さんはいつも、優しく強く私を励ましてくれました。そしてそれは、俊朗さんからも流れているのです。信子さんは「弱さ」を深く理解する母です。」 まるで水滴が水面に落ちて波紋が広がるように、俊朗さんの「朗らかな波紋」はからだ全体に広がりました。ハレルヤ。

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2021年10月17日

「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に、照り輝かせてくださいますように。あなたの道が地の上で、御救いが、すべての国々の間で知られるために。」(詩篇67:1,2)。 私もこの祈りをしてゆきたいと思いました。詩篇67篇は「世界宣教の祈り」です。この祈りの中で、福音は全世界に宣べ伝えられ、地の果てに住む私たちも「イエスは主」と告白できるようになりました。しかし、二つのクエスチョンが浮かびます。このように詩篇は世界宣教を教えているのに、なぜヘブル人はそこに向かわなかったのだろうか? ユダヤ教はユダヤ人(ヘブル人)のための宗教で、世界宗教ではありません。一方、同じ聖書(旧約)を聖典とするキリスト教は世界宗教となり、私たちは尚、日本のリバイバル、世界宣教を祈ります。では、その祈りが聞かれて日本にリバイバルが来たなら、日本はどのような国になるだろうか? 愛と平和に満ちた国になるだろうか? 例えば、初代教会の時代から300年後、ローマ帝国はキリスト教国になりましたが、相次ぐ内戦により200年続いた「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)は終焉を迎えました。その後の中世ヨーロッパはまさにキリスト教の時代です。しかし権力と宗教は癒着し、「暗黒時代」とも評されています。今日の代表的なキリスト教国はアメリカですが、実情はご承知のとおりです。もちろん歴史上、聖人や模範となるクリスチャンは数多く、キリスト教は世界に良き変革ももたらしてきました。しかし、日本のリバイバルにあまり幻想を抱かない方が良いのではないでしょうか。しかしだからこそ、私たちは世界宣教の祈りをやめてはならないのです。自分のことだけを祈るようになったらおしまいです。また、詩篇67篇の世界宣教の祈りは、「どうか、神が私たちをあわれみ、」と始まります。私たちは、いにしえへの聖徒たちから受け継がれてきた、神のあわれみの前の謙遜と、隣人と世界の人の救いの祈りをやめてはなりません。

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2021年10月10日

妻から海外のドッキリ番組のYouTube動画を勧められました。あるアメリカのオモチャ屋で、貧しそうな母親と息子がレジにいます。母親は息子が選んだオモチャを買ってあげようとしますがお金が足りません。母親は謝り、息子は悲しい顔をします。するとその様子に気づいた、子どもとオモチャを選んでいたTシャツにキャップのマッチョなお父さんがレジにやって来て、自分のクレジットカードを店員に差し出します。貧しい母親は目をまん丸にして感激、しかし返すお金がないと遠慮します。するとそのお父さん、いいんだ、彼のためにしたんだよ、と全額支払おうとします。そこでドッキリ終了です。仕掛け人は、詐欺師だとは疑わなかったのですか?と聞きくと、そのお父さん、たとえ10人中9人が詐欺師で、1人しか誠実でなかったとしても、その1人を助けることができたならそれで良いじゃないか、と笑顔で答えていました。カッコイイ。 もう一つのドッキリは中国でした。貧しい身なりの少年が花屋に来て、明日お母さんの誕生日なので花束を作って欲しいと依頼し、お金の入った小瓶を店員に差し出します。しかしその額では花一本すら買えません。すると店員は、お母さんの好きな花は何かな?と聞きながら、お金のことは一切言わず、綺麗な花束を作ってあげました。小瓶のお金は受け取りません。ドッキリを仕掛けたすべての店の店員がそうでした。また店員は、あなたはとても優しいよ、と言ってあげたり、サービスにメッセージカードを付けてあげたり、これで来年もっといい花束をプレゼントできるよ、と新しい貯金箱をあげたりと、少年にできる限りの愛情を表していました。正直私は、メディアを通して中国に対する違ったイメージを持っていましたが、それは間違いでした。人はみな、温かな愛情を持っています。そして二つのドッキリに共通していたのは、与えた人の方が、心が満たされていたということです。来週から『愛のことばの種蒔きキャンペーン』が始まります。

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2021年10月3日

二日間の児童養護施設実習に行って来ました。とてもとても勉強になりました。子どもたちの7,8割は虐待により保護されました。殆どの虐待は、経済的に困窮している家庭で起こるとのこと。親に余裕がなくなると虐待をしてしまうのです。虐待家庭では、今日のことが翌日にはまったく変わっている、ということが日常茶飯事です。なので、子どもたちは、朝起きて、顔を洗って、朝ごはんを食べて、歯を磨いてと、普通の生活習慣が身に付いていません。どうしたら身に付くのか、それは、「明日も、今日と同じことがある」という信頼と安心だそうです。施設の全職員が一丸となって努めるのは、子どもたちに、朝起きてから寝るまで、いや、寝ている間も、毎日、毎日、変わらない日常を作ってあげること、そしてその生活を大人が見守ってあげること、特に、大人に見守られているという安心感は大事で、それによって生活習慣は身に付き、学習習慣も身に付いてゆくとのことでした。 私は質問しました。やがて子どもたちは自立し、そこにも色々困難があると思いますが、健全に自立していく子の特徴とは何ですか? 職員の方はしばし考え、こう答えられました。それは、大人に上手に頼ることが出来るようになった子です。自立とは、適切な人に相談できるようになることではないでしょうか。色々な人に適度に依存することです。この答えは、目からウロコでした。私たち夫婦は、小学生から高校生まで5,6人で生活する、男子と女子それぞれの部屋で実習させていただきました。職員の方が包丁をトントンさせながら夕食を作っている、その後で、子どもたちは宿題をしたり、ゲームをしたり、スマホをいじったり、職員に話しかけたりしている、この風景がすべてを物語っていました。部屋の生活には「余白」がゆったりありました。親が無理をしない、理想や完璧を目指さなくてよい、無理をしなくてもよい支えが周りにある、これも大事だと学びました。

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