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月別アーカイブ: 9月 2021
2021年9月26日
私の両親は長年里親をしていましたが、以前母が話してくれた、最後の里子を迎える際のエピソードを最近思い出しました。15年程前のことです。父は既に定年退職をしていましたが、児童相談所から、7歳の男の子の里親になって欲しいとの依頼が来ました。ぜひともベテラン里親の横田夫妻にお願いしたいとのこと、しかし父と母はともに60代後半、悩みました。しかしその子が親から離れなければならなかった理由、またその子は養護施設ではなく、ぜひ家庭の中で育って欲しいとの児童相談所の願いを受けとめ、家族もみな賛成だったので、その男の子の里親になる決心をしました。しかしその子を迎えて一年半後、父の体調は悪くなりました。診断は筋萎縮性側索硬化症(ALS)との難病でした。母は里親を継続できるのか不安になり、児童相談所の職員に相談しました。するとその職員はこう話されました。「家族のだれかの体調が悪くなることは、実は、自然なことです。施設で職員の体調が悪くなったら他の職員に交代します。しかし家族でそれはありえません。家族は、だれかの体調が悪くなったら皆で助け合い、支え合います。その中で子どもたちの優しい心も育まれていきます。なので、ご無理でなかったなら、ぜひ、里親を継続していただきたいです。」。母は納得しました。その男の子は横田家の賑やかな大家族の中で成長しました。やがて父の病状は進行して入院生活となり、母は病院通いの日々となりました。その子も横田家の一員として一緒に支え合いました。やがて父は召天し、その子は洗礼を受けました。今は21歳、今春、里親の養育期間を終えて自立しました。今はルームシェアで暮らしながら学童保育で働いています。そして現在の彼の土台となっているのが「家族」であることを覚えます。今、私たち夫婦も里親を目指しています。コロナ禍で延期となっていた児童養護施設での実習が、いよいよ始まることとなりました。
2021年9月19日
北海道中央の新得町にある「共同学舎新得農場」代表、宮嶋望氏の著書『いらない人間なんていない ―世界一のチーズを作った農場物語―』(いのちのことば社)の一文が印象に残りました。「昔、炭鉱に入るときにカナリヤを持って行ったといいます。鳥は、人より弱いから先に倒れて警告を発して、人の役に立った。人は体調が悪くなると、最初に一番弱いこところが機能しなくなる。それで病気だと気づき、生活習慣病なら生活を改めなくてはいけないと気づくわけです。 生き物が命を維持していくためには、問題が起きたときに警告が必要です。このままじゃだめだよ、ずれているよ、という警告。それはまず一番弱い部分が発する。肝臓みたいに、病んでも痛みを伝えない臓器は、だまって頑張り続けて、限界を超えたときにドンと死んでしまう。そうなれば体全体の健康を大きく損なってしまいます。そういう面で見れば、社会の命を存続されるためには、本当に堪えて堪えて頑張って社会の中で良いポジションを維持している人よりも、「もうやってられるか」と出てきちゃった連中のほうが重要かもしれない。」。 世の中には、既存の仕組みに耐え忍びながらも順応できる人と、それが難しい人がいます。職場から「おまえは、もういらない」と言われ、家族からも「手がかかってどうしようもない」と言われ、行き場所がなくなった人たち。しかし宮嶋氏は、彼らのことを「社会が解決できない問題を伝えてくれるメッセンジャー」と見つめ、約50年、共同学舎でそのことを地道に実践しながら追求しておられます。私たち教会は、キリストのからです。 「目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。」(Ⅰコリント12:21,22)。 主よ、私たち教会がこの社会において、いよいよ、あなた様のからだでありますように。
2021年9月12日
あるとき、ある牧師の家庭の中学生になる娘さんが、しょんぼり質問してきました。「牧師って、信者の献金で食べているの?」 学校でだれからか、お前とこのおやじは信者の献金をもろて食べてるんや、まあ言うたら信者のお恵みで食っているちゅうわけや、乞食みたいなもんやなあ、そしたら、お前は乞食の子や、えらそうにするな、となじられたそうです。父親である牧師は「ちがう」と大声で答えました。娘は「じゃあ、私たちのお家のお金はどこからもらっているの?」と聞いてきます。牧師は「神さまから」と簡単に答えました。すると娘は「神さまがいつお金をくださるの、どうやって持ってきてくれるの、そんなこと言ったってみんな信用してくれないわ」と言って泣き出しました(榎本保郎著『教会づくり入門』より)。 私も牧師として少し身につまされました。もし息子が同じような質問をしてきたら何て答えるだろう?「あのね、どんな仕事もその対価としてお金をいただき、みんなそのお金で生活しているのだよ。牧師も教会の仕事をしてお金をいただき、私たち家族は生活している、しかしそのお金のすべては神さまからの恵みなのだよ。」と答えると思いました。仕事で得たお金もすべて神の恵み、これが私たちクリスチャンの信仰です。南ユダ王国の王ヒゼキヤは、偶像を取り除き、礼拝を立て直しました。民は宮に献げ物を携えて来て、やがていくつもの山になりました。ヒゼキヤはその積まれた山について祭司に説明を求めます。 「ツァドク家の祭司の長アザルヤが、彼に答えて言った。「人々が奉納物を【主】の宮に携えて来ることを始めてから、食べて満ち足り、たくさん残るようになりました。【主】が御民を祝福されたので、その残りがこんなにたくさんあるのです。」(Ⅱ歴代誌31:10)。 主は、ヒゼキヤと民の仕事をご覧になり、彼らを祝福したいと思われたのです。私も、神さまからも人からも、祝福したいと思われるような仕事(仕える事)をしてゆきたいと思いました。
2021年9月5日
「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」(マタイ7:7,8)。 私たちクリスチャンが世の光として輝いていないとしたら、地の塩として塩気を与えていないとしたら、それは求めていないからではないか。ではなぜ求めないのか? 飽食の時代、いわゆる「一般恩寵」で満足し、「特別恩寵」を求めていないからではないか。いや、求めている。では、探すところまで、たたくところまで求めているか…。朝のデボーションで、そんな迫りが私の心に来ました。「特別恩寵」とは福音、宣教の神の業です。先日『ワーキングユースの会』(若い社会人クリスチャンの集い)がもたれ、そこで“ワーキングミドル”の溝口勝英兄が証をしてくださいました。バブル終焉の過渡期の時代、会社や上司の姿勢は依然「右肩上がり」、熾烈な競争意識の必至さの中で、不正まがいなことが行われ、また上司が命じてくる。しかし溝口さんはそれに対して異議を申し立てました。すると上司は、今であったら間違いなくパワハラの仕打ち。溝口さんはとても苦しみました。しかしその中から教会、キリストへ導かれました。仕事を辞めることなく勤続40年以上、来年で定年を迎えられます。溝口さんは言いました。「クリスチャンとなって仕事に対する価値観は180度変わりました。同僚の成功を喜べなかった妬ましい思いからも解放されました。救われてから、仕事はただただ恵みとなりました。」 私たちは感銘を受けました。一人の人がキリスト者となるということは、本人にとって、周りの人たちにとって、どれだけ大きなことか! 先週の礼拝で報告しましたが、故、安間幾代姉から練馬教会へ遺贈がなされました。私たち教会は、この尊い信仰の献げものを感謝し、しかし安住することなく、「特別恩寵」のために、誠実かつ大胆に用いていきたいと思います。求め、探し、たたき。