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月別アーカイブ: 8月 2021
2021年8月29日
我が家のカブトムシの卵だけを集めたケースを調べてみたら、孵化した幼虫が47匹いました。他に雄と雌のカブトムシがいるケースが二つあり、よって、卵が倍以上ある可能性が十分にあり得ます。なので、息子に「どうする?」と聞くと、「もういいかな」との答え、よって47匹の幼虫を、カブトムシが住む「江古田の森」の腐葉土に埋めてきました。「自然に返す」ということです。そこで思いました。考えてみると、我が家のケースでカブトムシを飼っているのは「不自然」です。そこでは人の手の養いと守りの中で、カブトムシはどんどん増えていきます。比例して世話もどんどん大変になります。しかし自然のカブトムシはクヌギの森に住んでいます。自然に返した47匹の幼虫の中で、成虫になれるのは数匹でしょう。しかしそれは人の視点です。森の動物たちにとってみたら、食事にありつけた!と命を繋ぐことができます。幼虫の糞や死骸は植物の肥やしとなります。 私は学びました。人間中心、自分中心の視点とは、とても不自然なのです。私たち人にとっての「自然」とは、相手の側に立って考え、反対側を想像し、大局的に見渡していく、そして握っているものを手放して、ともに生きていくために分かち合っていくということです。その中心に、神さまに委ねることも忘れてはなりません。今日、私たちの住む社会では貧富の格差、二極化が問題となっています。環境問題の根もそこにあります。よって、ある国では「富裕税」の導入が検討されています。しかし富裕層の反対は必至です。私たちは今の豊かさのグレードを下げることはなかなかできませんから。しかし富の享受の半面、お金を持てば持つほど不自由になり束縛されるということは、だれもが分かっていることです。富は人を貪欲にします。私たちが「自然」に立ち返ったなら、どれだけ豊かに歩んで行けることか。地球は私の所有物ではありません。カブトムシを飼う恵みとともに、自然に返す恵みも教えられました。
2021年8月22日
最近私が体験した「ヘマからの意外なオチ」を書きたいと思います。3週間ほど前、Amazonから更新のお知らせメールが届きました。バタバタしている最中で、しかし確かに時期かもしれないと思い、詐欺メールでないかをチェックした上で私は更新手続きをしました。すると数日後、カード会社から電話がありました。私のカードに怪しいアクセスがあったと。そう、私はまんまとAmazonの皮を被ったオオカミに引っかかってしまったのです。しかし今のカード会社は素晴らしいです。直ぐに連絡をしてくれて、カードを停止、新規手続きをし、被害に合わずに済みました。しかし巧妙な詐欺メールです。すると妻から「そのようなメールはすべて詐欺だから。更新情報は必ずマイアカウントで確かめること!」と怒られました。 それから2週間後のことです。もう一つのカードから、カードを使用していないのにもかかわらず780円引き落とされていることが判明しました。明細に支払先が記されていません。直ちにカード会社に問い合わせると、Amazonから引き落とされているというのです。Amazonに問い合わせると、オペレーターは、私は2018年からAmazon musicのプライム会員に加入しており、それからずっと毎月780円引き落とされていると言うのです。全く身に覚えがありません!しかし「3ヶ月無料キャンペーン」等の宣伝に乗っかってクリックしてしまった可能性は十分あり得ます。いや、そうしたのです。先方も「無料キャンペーンが今月で終わります」などとのんきな知らせはしてきません。先方は、毎月引き落としているカードが停止になったため、登録のあるもう一つのカードから引き落としたという次第です。今回もし私が詐欺メールに引っかかっていなかったら、知らずして毎月780円引き落とされ続けていたということです。すべてのことが益となる。しかし怖い、怖い。Amazonを装う詐欺を防御したと思ったら、Amazonにずっと引っかかっていたというお話でした。羊の皮を被ったオオカミにご用心。
2021年8月15日
東京オリンピック新種目の空手、見事、「型」で日本人選手が金メダルを獲得しました。その決勝戦を観て鳥肌が立ちました。圧巻は勝利した後です。もちろん喜びを爆発させません。決勝を戦った相手はもとより、相手のコーチのもとまで行って正座をして一礼します。そして再び畳に戻り、中央に静かに正座し、黙想し、深く一礼しました。その光景に、これぞ武道!と叫んだのは私だけではなかったと思います。しかしその後に考えました。空手の競技は「型」の他に、実際に戦う「組手」があり、「型」と「組手」は同じ競技とは思えないほど別ものです。複雑な思いになります。どっちが強いの?とか。また、同じ格闘技でも空手や柔道とレスリングは違います。例えば、空手や柔道の審判は背広にネクタイ、礼に始まり礼に終わります。一方、レスリングのレフリーはジャージで、勝者の腕を上げてイェーイといった感じです。武道、そして私たち日本人は「型」を美徳とします。しかし「型」を突き詰めたところにあるのが「切腹」だったのか…。 ある逸話を思い出しました。日露戦争の時、赤十字野戦病院を日本の慰問団が見舞いました。日本兵は、激痛にも歯を食いしばって、一言も発せずガクッと死んでゆきます。それに対してロシア兵は、「神よ。どうしてこんな目に…」、「助けて下さい、早く、早く」と泣き叫びます。それを見ていた慰問団の人たちは、「見よ。日本兵の勇気を、我慢強さを。それに比べてロシア兵の意気地なし。情けなさを」と言いました。しかし慰問団に交じっていた一人の牧師はこう言い残しています。「人、いざ死に臨んで恐れがあるに違いない。また残して来た家族への心配もあるに違いない。それなのに、それを訴える神を持たない日本人。祈りすがる神はなく、ただ人前をはばかって、歯を食いしばってこと切れる日本人の宗教の不毛さ。それに対して、傷の痛みを訴え、御心を問い、死からの救いを願い、家族の守りを求める神を持つロシア人の宗教の濃さを見た。」
2021年8月8日
少し前にここで紹介した書籍、『万物のいやし-Healing The Earth』(ジョン&マーク・サンフォード共著、翻訳:陣内俊師)を読んで、私の動植物への姿勢は変わりました。その大きな理由は、すべての動植物は神の栄光を表す存在であることを深く覚え、それにより、私の罪性が指摘されたからです。動物にも感情や記憶があります。だから犬はしっぽを振るし、猫は喉を鳴らします。我が家のキュウリも蔓を紐にしっかり巻き付け、上へ上へと伸びています。まるでボルダリング選手のような知性を感じます。動植物をよく観察してみると、そこにはなんと繊細で、緻密で、ユニークで、私たちの感性を刺激する能力が備わっていることでしょう。しかし普段の生活の中でどれだけそのように動植物を見ているでしょうか。私はそうでありません。なぜなら動植物は人でないからです。 私にとって意識するのは人であり、動植物は二の次です。意識したとしても、自分本位、気分次第です。そしてそこに「下に見ているものを適当に扱う」という罪性を見るのです。私の態度は人によって違ってしまいます。ましてや声を発さず、抵抗もせず、利害関係のない動植物には、当然のように適当に扱ってしまいます。人への罪は悔い改めますが、動植物への罪を悔い改めたことはありません。皆さんはどうでしょう。私は、カブトムシケースの蓋をがばっと開けるのをやめ、そっと開けて「カブちゃん、元気かい」と語りかけ、撫でてあげるようにしました。するとカブちゃんは逃げません。私の語りかけに耳を傾けているかのようです。イザヤ11章には、狼が子羊とともに宿り、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行き、雌牛と熊が草をはみ、獅子も牛のように藁を食い、乳飲み子がコブラの穴の上で戯れるという、神の贖いの完成した世界が描かれています。私たちはいつから「動物は本能のみ」と決めつけてしまったのでしょう。その洗脳から解かれたいと思います。
2021年8月1日
私たちは口に出しませんが、あの人は好き、あの人は嫌い(苦手)、と思ってしまいます。しかし主イエスは言います。 「『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5:43,44)。 注目はその理由です。 「天におられるあなたがたの父の子どもとなるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」(45)。 ここから教えられることは、第一に、父なる神は、私たちの思いを遥かに超えたところのご計画を持ち、成就される方だということです。第二に、その神は、私たちよりもずっと深く、一人ひとりを理解し、愛しておられる方だということです。そして第三は、父なる神は、私たちをご自身の子にしようとしておられるということです。どうでしょう、よくよく自分の内側を見つめてみると、そこにあるのは「私は悪い、私は正しくない」というよりも、「私は善い、私は正しい」という思いではありませんか。つまり私の基準、私の主張、私のこだわりです。そしてその「私」が一番のくせものなのです。しかし私の前には、私よりも高く、ご自身の計画を成就される主、私よりも低く、私の敵をも愛される神がおられます。私は、その神に「私」を明け渡します。心が落ち着いてきます。父なる神と同じように、私も、敵と思っている人を理解し、愛していこうという思いが与えられてきます。自分を迫害する者のために、主イエスの祈りが教えられてきます。それは、天の父の子どもの姿ではないでしょうか。カズレーザーという芸人が、「勝ち組とはどんな人ですか?」との質問にこう答えていました。「勝ち負けを考えていない人です。」。なるほど、と思いました。私たちは、十字架で勝利を取られたイエスにあって、父なる神の子どもです。