月別アーカイブ: 7月 2021

2021年7月24日

人の心の態度に、主体的であるか、反応的であるか、ということがあります。そのどちらを選択するかによって、日々の歩みと結実は大きく違ってきます。『7つの習慣』(スティーブン・R・コーヴィー著)によると、「反応的」とは、例えば、天気が良ければ気分も良い。しかし天気が悪ければ気分も悪くなる。また人が親切にしてくれると気分がいい。そうでないときは不機嫌になったり落ち込んだりする。逆に「主体的」とは、雨が降ろうが陽が照ろうが関係ない。彼らの行動は価値観(自らの心の態度)に導かれている。反応的な人は、その時折の感情、状況、条件づけ、環境などに左右されるが、主体的な人は深く考え、選択し、内面化した価値観に基づいて自らを支配する、と述べています。 断然、私たちは主体的でありたいです。特に私はその思いが強いです。それは長男であることも影響しているかと思います。例えば、東京オリンピックも、私は主催者側のことが、大変だな~、と気になってしまいます。とにかく私は、主体的に歩んでいる人を見ると励まされるし、主体的に協力してくれる人に愛を感じます。しかし、主体的でありたいと願う反面、私は反応的であることも認めます。いつも、辛い辛いと思ってしまいます。とてもネガティブなところがあります。人の顔色や心を過敏に察して、内面でパニックになることもあります。また、愛されたら主体的になれるかといったら、必ずしもそうではないことも学んできました。反応的な心は、いつまでも、私は愛されていないと思っています。 さて、反応的な私が主体的であるために、私が学んだ秘訣があります。それは神のみことばに聴くことです。ダビデは、自分のことを突き落そうと企む者たちに囲まれ、反応的になって当然の状況下で、こう告白します。 「私のたましいは 黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」(詩篇62:1) 黙って、対抗しないで、のらないで、集中して、神を待ち望む。そしてみことばに立つ。これが真の主体性です。

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2021年7月18日

うちわネタで恐縮ですが、息子の許可を得たので、というか、書いてよと言われたので、最近あった不思議で感謝な出来事を書きたいと思います。 先日、小学校の保護者会で、息子の様子を妻は先生から聞きました。どうも息子は、毎日のように後の席の男の子とケンカになるそうです。仲良く遊んではいるものの、ちょっとしたことで言い合いになり、やがて取っ組み合いになります。回りの子たちが、「先生、またあの二人ケンカしている」と知らせに来るそうです。なので、家でも少し話してみてくださいと先生から言われました。夕食後、息子にそのことを聞いてみました。息子は、なぜその友だちとケンカになるのか話し始めました。学童でも時々ケンカになるとのこと。私が、うんうん、と聞いていると、アドレナリンが出てきたのか、立ち上がり、どうケンカをするのか、ジェスチャーをしながら機関銃トークで伝えてきます。一人舞台が20分程続きました。私は、こうやって自分で話しているうちに色々と気づかされて、明日に繋がるだろうと思い、ただ聞くだけに留めました。 さて、翌日の夕食後、今日はどうだった?と聞きました。すると息子は、そうそう、と言いながら話し始めました。なんと、今日突然席替えがあって、そのケンカ友だちとは席が離れ、だからケンカにならなかったとのこと。さらに、学童のドッチボール時にはケンカになりそうになったのだけど、その子を叩き返そうとしたら、丁度ボールが飛んで来て自分の手に当たり、止められたと言うのです。私はすかさず「イエスさまだ!」と言いました。すると息子も「そうか、イエスさまだ!」と言いました。確かに、昨晩祈りました。 「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。」(箴言3:6) です。私たちは、思わぬ形で主を知る(認める)体験と学びが与えられました。みことばの続きは「主があなたの道をまっすぐにされる。」です。息子とその友だちとの道を、祈りたいと思います。

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2021年7月11日

先週の礼拝説教の中で少しお話しましたが、皆さんにも祈りに覚えていただきたく、改めてここに書きたいと思います。私は、NPO法人ホサナという障害福祉事業の理事を務めています。「ホサナショップ」(共同作業所)、「ホサナホーム」(グループホーム)、「シンプルライフ」(相互支援活動)の3つの事業から成り、理事には、練馬区の4つの教会(練馬バプテスト教会、小竹町聖書教会、東京聖書教会、練馬グレースチャペル)の牧師も就いています。理事会では、今年度から「5ヵ年計画委員会」を立ち上げ、NPO法人ホサナの刷新を図ることとなりました。 現在、その計画作成中で、先ずはホサナのビジョンを見直していこうと、そのために、ホサナが取り組む現状の社会課題とは何か?を皆で話し合いました。すると、昨年末にホサナショップに就職した女性の委員がこう言われました。「一人のソーシャルワーカーとしてこの問題を考えると、社会からの孤立化や制度からこぼれ落ちた人たちが困窮すること、そして彼ら/彼女らが社会的弱者とみなされる現状は、福祉に従事する私たちの責任だと以前から考えています。私たちがリーチできていないからこそ、これらの諸問題がいっこうに改善せず、放置されたままとなっているのではないでしょうか。」 目から鱗でした。課題は向こうにではなく、こちらにあると。 実は、ホサナには長年の課題がありました。3つの事業所、所長同士、さらに所長と理事の間に溝があり、その溝を埋めることができないでいました。しかし最近、まるで朝日が昇るかのように、その溝の修復の兆しが見えてきました。しかも多方面から。「主の時」と思いました。そして「5ヵ年計画委員会」が発足しました。今、お互いに距離を置いていた理事や所長同士が、歩み寄り始めています。少し時間がかかるでしょう。しかし大切な、大きな一歩です。そしてその歩みは、「降りて来られた王」なる主イエスについて行く歩みです。ホサナのこと、お祈りくだされば幸いです。

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2021年7月4日

『ゴミが教えてくれたこと〜あるごみ収集員の記録』というNHKBSのドキュメンタリーを観て感動しました。ゴミ排出量日本一の街横浜で、奮闘するゴミ収集員、岳裕介さん(34)。街が寝静まった深夜2時、回収車に乗り込み、黙々と目の前のゴミを回収し続け、50人の部下を束ねながら、一人で一日三トンのゴミを集めます。ただ集めるだけではありません。業務外だけど、カラスが散らかした生ごみを拾い集め掃除します。ごみが分別されていなかったら、そのゴミを出した店を探し出し、丁寧に分別の指導をし、一緒に綺麗な街にしていきましょうとお願いをします。誠実丁寧に面と向かって話すと、しっかり分別をしてくれるそうです。また店は店なりの事情もあり、それを理解し、一緒に街を綺麗にしていくことに繋がっていけることが、やりがいだと言っていました。岳さんは、20代前半、お金欲しさに、何気なくこの仕事に就きました。しかし過酷な上、仕事の底辺、ろくな奴が仕事していないと見られる職種、葛藤しながら仕事をしました。 しかし結婚して子どもが生まれた時からスイッチが入ったそうです。「子どもは父親の背中を見ている。誇りを持って、自分はこういう仕事をしているのだ、カッコイイと言われるように仕事をしていきたい。」「自分が好きになろうと思った仕事だし、本当に好きになるまではやり続けたい。」「ゴミって思ったらゴミ止まり。ゴミで終わりにしたくない。だから俺はゴミは夢だと思っている。夢を運んでいる。ゴミは夢ですよ。」 一つひとつの言葉が胸に沁みました。特に「ゴミは夢ですよ。」 どんな仕事でも向き合いかた次第、どんな仕事でも夢になりうる、ゴミと思うか、それとも、ゴミで終わりにしたくないか。私もこのように仕事に向き合いたいと思いました。またゴミ収集の仕事、私たちの暮らしに無くてはならない尊い仕事ですが、蔑みの目、態度、言葉が発せられる現実があるのです。ゴミ収集員の方々に感謝を表そうと思いました。

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