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月別アーカイブ: 6月 2021
2021年6月27日
DIYで、我が家の小さなベランダに、大きなプランターを作りました。そして、しそ、バジル、ナス、キュウリ、サツマイモの苗を植え、ニンジンの種を蒔きました。続いて頼るのはGoogle先生です。「ベランダでのナスの育て方」で検索すると、家庭菜園の先輩方がアップした動画やブログがずらっと出てきて、その量に先ず驚きました。次に驚いたのは、ナスを育てる技術です。正直、チョチョイのチョイぐらいのイメージでした。もちろんそれでもナスは実ります。しかし技術次第で、一本の苗から200個のナスの収穫が可能だというのです。私は、その技術を確立するまでにかかった年月、多くの人の試行錯誤と研鑽の積み重ねに、人って凄いな~と、妙に感銘を受けてしまいました。教会八百屋の海藤芳勝さんを通して知り合った、和光市で農園を営んでおられる清水さんにもご教授願いました(Web 必見!「和光市 清水農園」で検索)。丁寧にアドバイスをして下さいました。しかし流石はプロ、その緻密で多角的な技術に脱帽です。以前、酪農&畑作農家で働いて学んだ、農業は総合的な高度なスキルを必要とする、を思い出しました。 私は俄然やる気が出て、有機栽培にトライすることにしました。清水さんのアドバイスに従い、追肥に必要な石灰分は卵の殻を使います。また発酵肥料を作り始めました。毎日出る生ごみ(野菜&果物くず)を専用の密閉バケツに入れ、EM(有機微生物群)生ごみ処理材を振りかけ混ぜます。さて、これらのことを通して教えられるのは、どの道も奥が深いということです。どの道にも人の好奇心、探求心、研鑽の積み重ねがあり、私たちはそこから謙虚に学ばなければなりません。そしてその技術を「神の御前で」で用いるか、「自分が神となって」用いるか、そこが私たちにかかっているのです。 「神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」」(創世記1:28)
2021年6月20日
火曜日のスタッフミーティングで、書籍『万物のいやし-Healing The Earth』(ジョン&マーク・サンフォード共著、翻訳は陣内先生!)を学び始めました。この本は、破壊と汚染で傷んだ地球(被造物)の回復を!という内容ではありません。他方で、主の再臨の前に世界は悪くなると多くの聖書箇所は示唆している、なので、いずれにせよ滅びることこがわかっている地球をどうして苦労して回復しなければならないのか、大切なのは伝道だ!という主張に対しても、はっきりNoと言っています。そうではなく、主の再臨(神による新しい創造)を待ち望む中で、私たちは被造物に対してどのように召されているのか?そのことを聖書から考察しています。皆さんも考えてみて下さい。アダムとエバが罪に覆われる前のエデンの園で、彼らは動植物とどのような関係だっただろうか? 私は自然が好きです。しかし実際のところ、私は自然にどう向き合っているだろうか?リラックスやレクレーションのため、もちろん私の命を保つため、中心にあるのは「私」。私はどれだけ「神の御前で」、つまり霊的に動植物と向き合っているだろうか? 過去に、蟻を潰して遊んだこと、我が家の犬をいじめたこと…、動植物をぞんざいに扱った数々の酷い行為が思い浮んできました。一つひとつ神様に悔い改めました。自然が好きだと言いながら、なんと自分本位で動植物に接していたことか。そして新しい扉を開いてみました。 夕食の後、家族の賛同を得て、家で飼育している25匹のカブトムシの幼虫&蛹をテーブルの上に載せ、私たちは感謝と祝福を祈りました。また家にあるすべての植物、ベランダで育てている野菜にも手をかざして祈りました。サンフォード先生は言われます。「愛する聖徒の皆さん、「自然界は私の周りで生き生きと神の栄光を現しているだろうか?」「土地はその力を生じているだろうか?」「動物たち(家畜、ペット、野生動物)は、私の前で愛らしく安心しているだろうか?」と自問していただきたいのです。」
2021年6月13日
モーセ率いるイスラエルの民がエジプトを脱出し、荒野を旅して1ヵ月程経った時、イスラエルの全会衆はモーセとアロンに不平を言いました(出エジプト16章)。「あなたたちは私たちを荒野に導き出して、飢え死にさせようとしている。エジプトの地で肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べて死んだ方がましだった」。やはり人は困難にぶつかると、「昔は良かった」になるのですね。当時の困難や課題は忘れてしまって。ただ、この不平は当然と言えば当然です。だって100万人を超える民が、実際に荒野で飢えているのですから。エジプトに戻るのは現実的な解決策です。大変なのはその間に立つモーセです。約束の地カナンを目指している、しかし荒野で民は飢えていて、どうすることもできない、できることはエジプトに戻ることなのか…。すると、主はモーセに告げられました。 わたしはイスラエルの不平を聞いた。彼らに告げよ。『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知る。』。 すると、夕方にはうずらが飛んできて宿営をおおい、朝になると、宿営の周り一面に露のようにマナが降り、イスラエルの民はこれらを食べ、約束の地を目指す旅を続けることができました。さて、この物語は私たちの物語でもあります。この主の助けと導きに安心と勇気が与えられます。また私たちクリスチャンが持つべき姿勢も教えられます。万人祭司、私たちはそれぞれ置かれた場所にあってモーセのような存在です。時にその間に立って苦みます。しかし、あなたは不平を言い、昔は良かった、昔に戻りたいか? それとも、神、主であることを知りたいか? 主なる神は、毎朝、私たちに天から新しいマナを備えて下さいます。「白く、その味は蜜を入れた薄焼きパンのような」マナ(みことば)を食べて味わい、約束の地を目指して前進しましょう。
2021年6月6日
最近教えられたことを書こうと思います。緊急事態宣言発出により、計画を見直さなければならないことが度々起こります。先日開催した『ワーキングユースの集い』もそうでした。私たち主催チームは、初回なので対面を重視して延期にするか、それともオンラインで開催するか、迷いました。最終的に牧師である私の判断により延期の方向になりました。その後、私は動機を探られました。緊急事態宣言だから仕方がない、しかしそこに甘んじてはいないだろうか、攻めていない、リーダーである私の姿勢は大事、こんな時だからこそ交わりが必要ではないか…、私は主催チームにその旨伝え、再度協議し、オンライン開催に変更しました。結果、開催して本当に良かったです。 こんなこともありました。『NGCデボーションスクール』が開催します。講師の江渕篤史&深雪ご夫妻が力を注いで準備してくださっていますが、〆切日が近づく中で、申込者は少数でした。そんな折、ある方から電話がきました。家を片付けている最中に大事な鍵を紛失してしまったので、見つかるように祈って欲しいとのことでした。私は祈りました。すると一分後に再び電話がきて、先程とは打って変わって晴れやかな声で、「ありがとうございました。見つかりました。」と言われるのです。思わず、早っ、と言ってしまいました。祈りの力を目の当たりにしました。しかしそれ以上に、その方の純粋に主に助けを求め、教会に祈りの助けを求める信仰に、心打たれました。私は倣って、デボーションスクールに必要な方が導かれるよう祈って欲しいと役員会に依頼しました。12名の方が申し込まれました。ハレルヤ。私たちは「待ち望む」者です。「待ち」つつ「望む」のです。コロナ禍、緊急事態宣言、なら仕方がない、次第に「待つ」が「甘んじる」にすり替わる。怠惰な私は気をつけなければなりません。 「アブラハムよ」「はい、ここにおります(はい、御前に)」(創世記22:1) いつ何時でも、この姿勢が「待ち望む」であると教えられました。