月別アーカイブ: 4月 2021

2021年4月25日

先日の教会スタッフミーティングで、2021年度の教会ビジョン(『みこえ』の裏面参照)について各々が受け取っていることを分かち合いました。その日の早朝、私はそのことに備えていました。2021年度テーマ「主よ。あなたのみことばを大胆に語らせてください。」 正直に言って、私は、牧師でありながら、みことばを語ることがずっと大きなストレスでした。だから私は「語る」ことより「行動」に心が向き、語るだけの牧師ではありたくないと叫んでいました。しかしみことばを取り次ぐ準備に心と時間が大きく取られ、思い描く牧師の行動(活動)ができません。私はなぜ牧師になったのだろうと、ため息が出ました。しかし一方で、もしデボーションと礼拝メッセージがなかったなら、私は牧師をここまでやることは出来なかったです。みことばが私を支え、みことばを語ることで神の心を知り、牧師として成長させられてきました。 牧師になって20年が経ちました。最近、私は一つの変化を実感しています。みことばから受け取るものが以前と変わってきたのです。より親密に、深く、鋭く、みことばが開かれていく、これまでの蓄積、学んだことが一気に繋がってきている、みことばによる「導き手」とされてきている手ごたえを感じるのです。祈祷会のみことばの分かち合いがとても恵まれます。私の礼拝メッセージスタイルも確立してきました。もちろん今もストレスは変わりません。これが生涯続くのかと思うとおののきます。しかし、ここに私の召しと賜物がるのです。恵みと喜びも。深い主の御旨と一つにされていきます。理想の活動は相変わらずできませんが、焦らなくて良いのです。みことばを取り次ぐことに苦悩しながら集中します。よく考えてみると、2021年度の3つの目標は、そのまま私の毎週の歩みでした。 ①日々のデボーション ②主の臨在に支配されるまで祈り抜き ③それにより与えられたみことばを大胆に語ります。 早朝の静まりのなか、私は確信と平安に満たされました。

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2021年4月18日

NHK BSで外国人が山伏修行を体験する番組がやっていて、興味深かったので観ました。最初の行は瞑想です。座禅を組んでこれまでの自分の人生を振り返ります。しかし集中するのは難しいようです。次は水温8度の滝行です。気合を入れて3回滝に打たれます。3回が限界だそうで、でも3回目には寒さから解放され、自然と一体となるような感覚を得たと言っていました。他にも幾つか行があったようですが(見逃しました)、最後は険しい山道を行脚する峰入り行です。修行を終えた外国人は満足していました。私は番組を観て、浅はかな見方かもしれませんが、山伏修行とは、世俗から離れ、自身と向き合い、心の一新、刷新を得るための良くできたシステムだと思いました。部屋に籠った瞑想だけでなく、滝に打たれ、山々を行脚し、大声で経を唱えたりすることで、内面を見つめ、神を思い、リフレッシュする、昔の日本人もそのような必要を覚えていたのだなと思いました。現在も山伏修行に挑む人は年間1万人あまりいるそうです。 一方、ヨーロッパでは古くから巡礼が行われてきました。詩篇には「都上り(巡礼)の歌」があります。若かりし頃は、巡礼なんて、と斜に見ていましたが、今ではその意味と必要がわかります。私は登山が好きですが、確かに、登ったり降ったりする中で、自分の内面や人生を見つめたりしています。 「あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」(マタイ6:6) ここで主イエスが示される「家の奥の自分の部屋」とは、「自分の内面の広がり」でもあると教えられます。そしてその部屋に入るには、ときには部屋から出て、神の被造物輝く野山を歩くのも有益なのです。新緑の美しい季節、お弁当と聖書を持って、祈りを目的としたディボーションハイキングをしてみても良いですね。

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2021年4月11日

毎月会堂一階で開かれている「教会八百屋」(第三水曜13時~15時/主催:マート城山)が大盛況です。開店前から地域の方々が続々と集まり、気が付いたらレジには長蛇の列です。通りすがりの方も、先ずは安さに驚き、次に野菜の新鮮さに目を見張り、中に入って来られます。やはり魅力的な店って場所や宣伝は関係ないのですね。 さて、先日の日曜の午後、店主の海藤芳勝さんに教会にお越しいただき、有志の方々と幸いな懇談の時を持ちました。そこでの会話の幾つかをご紹介します。①美味しい野菜は料理をするのが楽しくなる。②美味しい野菜は無駄にしない。美味しいから無駄にしたくないし、新鮮で日持ちが良いから捨てるようなことがない。③美味しい野菜は会話が生まれる。野菜が話題となって。「美味しい」って、凄い力ですね。芳勝さんは様々な美味しい野菜を仕入れるために、市場のみならず、全国の安全で美味しい野菜を生産している農家さんと繋がっておられました。印象深かったのは、野菜の美味しさは有機農法だからではなく、結局、「誰」が作っているか(生産者の志と研鑽と努力)だと芳勝さんが仰っていたことです。 では、その美味しい野菜が、なぜこんなにも安く(スーパーの半額!)売ることができるのか、今回、芳勝さんに一番伺いたいことでした。芳勝さんは、謙虚に言葉を濁しながらその理由を仰ってくださいました。つまりそれは「儲けない」、その一点でした。安全で美味しい野菜を生産している農家さんを支え、その野菜を多くの人に食べてもらい広めたい、芳勝さんはその志により購入しやすい価格にしておられました。儲けを犠牲にして。時に、「志」と「儲け」は比例しません。 「神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」(創世記2:7) 私たちはただ生きているのではなく、神のいのちの息を吹き込まれて生きています。高い志をもって八百屋を営まれる海藤芳勝さんに、神の息吹を覚えました。

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2021年4月4日

今年も会堂一階テラスに椅子を置きました。ご老人、親子、お友だちと、若いカップル、学生、ビジネスマン、外国の方、多くの方が座って、思い思いに桜を愛でて行かれました。お年寄りの方は、道の途中に座れる椅子があるのは小休止ができて良いようです。続けて小さなベンチでも置けたら良いなと思います。さて、桜の次は新緑ですね。キラキラ爽やかな新緑もとても気持ち良いです。そういえば最近、早朝に我が家の隣の雑木林から「ホー ホケキョ」と聞こえてきます。鶯の声で目覚めるなんて、東京に住んで初めてです。この季節、このご時世だからこそ、ふと木々や花々に目を向け、耳を澄まし、香りを吸い、春を味わいたいものです。 最近読んだ本の中に、なるほど、と思わされたエピソードがあったのでご紹介します。「幼稚園の子どもたちに話をする機会がありました。話が終わった時、『何か質問ありますか』と尋ねると、一人の男の子が真っ先に手を挙げ『人間って、どうして生きているのかなあ』と恥ずかしそうに質問しました。(中略)質問した子は、いたって真面目な顔で私の返事を待っています。答えを頭の中で探していたその時、『私、知っている』という声が聞こえました。見ると、前列に座っているちっちゃな女の子の笑顔が見えました。『えっ、知っているの?』、私の口から思わず出てしまいました。その子は大きくうなずいて、『うん、知っている』と言うのです。『そうかあ、じゃあ、皆に教えてくれる?』。その女の子は言いました。『人間はね、お花に水をあげるために生きているの』(他の子どもたちも、犬をお散歩につれていくために、小鳥に餌をあげるために生きているんだ、と続きました)」。筆者は「子どもたちが生きている『秘密』を教えてもらった」と結んでいました。「人間はね、お花に水をあげるために生きているの」どんな小さな存在にも丁寧に耳を傾け、応えて生きることの中に、生き甲斐は生まれてくるのですね。

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