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月別アーカイブ: 12月 2020
2020年12月27日
2020年も最後となりました。私たち練馬グレースチャペルの2020年はどのような年だったでしょうか? 昨年新会堂が完成し色々調整を経て、いよいよ本番「よーいどん」とスタートを切った矢先に突然のコロナ禍、それからはコロナに翻弄される一年でした。しかし危機のときにこそ本性は現れるもので、そう考えてみると、コロナ禍にあってもNGCは安定していました。それは一重に皆さんの安定した信仰によります。もちろん揺らぐこともありましたが支え合う隣人や共同体がありました。その信仰は献金にも表れ、教会会計や新会堂建築の返済も守られました。感謝です。私たちは感染防止のため消極的になることはありませんでした。感染防止に努めながらもセルをはじめ、ゴスペル、シニアカフェ、くれよん、歌声広場等々、イエス様が御手を差し伸べていくその動きに合わせていきました。つくづくNGCはポテンシャルのある、タフで攻めの教会だなと思います。そしてそれは私たちの信仰の先人、先輩あってこそです。NGCのポテンシャルは聖徒たちが65年間主とともに歩むなかで醸成されたレガシーです。旧約聖書、ヨシュア率いるイスラエルの民が、約束の地を占領した時のことをこう記しています。 「【主】は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられた。彼らはそれを占領し、そこに住んだ。」(ヨシュア21:43) 主が約束の地を与えました。しかしその行程は父祖たちの代から始まっており、次世代のヨシュアたちはその信仰を引き継ぎ、信仰に倣い、勝ち取りました。ヨシュア記21章はこう結びます。「【主】がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。」(45)なんと力強いみことばでしょう。主は私たちに「良いこと」を告げられます。私たちはその良いことに集中します。NGCのレガシー(良き遺産)を引き継ぎ、2021年に告げられる良いことに。【主】が、一つもたがわず、すべて実現して下さるのですから。
2020年12月20日
「まことに、私が供えても、あなたはいけにえを喜ばれず、全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにへは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ、それをあなたは蔑まれません。」(詩篇51:16,17) 心に響くみことばです。このみことばはダビデがバテ・シェバと姦通し、虚偽、殺人を犯すという最悪の罪(Ⅱサムエル11章)のさばきから生じたダビデの信仰告白であることも深みを与えます。預言者ナタンによって鋭く指摘されたダビデ、その魂の取り扱いが詩篇51篇です。「まことに、私は自分の背きを知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたの前に罪ある者です。」(3,4)このダビデの正直さが神から愛された理由でしょう。その正直さはバテ・シェバ事件にとどまらず、罪に侵食されている自身、救いようのない己の罪性を見つめます。「ご覧ください。私は咎ある者として生まれ罪ある者として母は私を身ごもりました。」(5)ダビデは罪の穴を掘り下げました。そして暗黒の底で神に叫びます。「どうか私の心の奥に知恵を教えてください。」(6)もうこの祈りの言葉しかないのです。そして知恵が与えられました。「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。」(7)罪の穴の底に泉がありました。私の罪を除き、洗ってくださる神。祈りは開かれます。「神よ、私にきよい心を造り、揺るがない霊を、私のうちに新しくしてください。」(10)「あなたの救いの喜びを私に戻し仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください。」(12) そして「神へのいけにへは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ、それをあなたは蔑まれません。」と結ぶのです。私がどんなにか神の前に相応しくない者であるか、しかしその私がどれほどの大きな恵みを受けているか、それを知る心、それが砕かれた霊、砕かれた心です。神よ、それをあなたは蔑まれません。メリークリスマス。
2020年12月13日
木曜祈祷会では月に一度、榎本保郎著『教会づくり入門』を読み進めています。今月は「5.なくてはならぬものは何か」でした。著者はルカ10章のマルタとマリヤ姉妹の話を挙げます。姉のマルタはイエス様にくつろいでいただこうと接待に忙しく立ち働きましたが、妹のマリヤはイエス様の足もとでお話に聞き入っていました。マルタはイエス様に訴えます。「主よ。私の姉妹が私だけにもてなしをさせているのを、何ともお思いにならないのですか。私の手伝いをするように、おっしゃってください。」この不平と訴え、私たちもよくわかります。ところがイエス様は「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」と答えられました。あなたがマルタだったらどう思うでしょう? 教会は様々な奉仕でなりたっています。私たちが毎週清々しい気持ちで礼拝を守ることができるのも、会堂掃除をはじめ様々な奉仕を皆で分担、協力しているからです。さらにマルタのように気づいて自ら進んで動いてくれる人の存在は、教会にとってとても助かります。しかしよく考えてみると、教会のみならずどんな組織にもマルタさんは必要です。また時に長所は短所です。マルタは色々なことを思い煩って、心を乱していました。そんなマルタにイエス様は「必要なことは一つだけ」と告げるのでした。それは「今」来たりたもう主のみことばに耳を傾けていくということです。マルタは「次」のことで頭がいっぱいでした。あなたは今どうでしょう? 私たちは奉仕をします。しかしそれは主の語りかけへの応答であり、その奉仕のうちに私たちの確信と愛と挑戦があります。教会は、今語りかけたもう主のみことばに、どこまでも聞き入っていく人々によって建てられていくのです。
2020年12月6日
現在岩手では、小手川夫妻の他に松本ファミリー(玄太兄、麻似姉、奏佑くん)も宣教に歩んでいます。このほど松本玄太兄は「陸前高田の食と農を守るための「根っこ」になれる農業交流施設をつくります!」と、クラウドファンディング(インターネットを介して企画や活動を応援したい人々から少しづつ資金を募る)を立ち上げました。私は送られてきたチラシを読み感動しました。頑張っているな、良い仕事をしているな、陸前高田の人たちは喜んでいるだろうなと。 東日本大震災後、実家がある宮腰姉をとおして私たちは陸前高田に向かいました。電気も水道も復旧しておらず、ロウソクのもとで缶詰を食べながら支援物資を届けて周りました。500㎞の道程を2ヵ月間は毎週向かいました。その後一年間は毎月向かいました。その中で、玄太兄は陸前高田に移住することを決意しました。風景が故郷広島の海と似ているのも要因の一つと言っていましたが、確かに東北の美しい風景が広がります。心強かったのは、ゴスペルをとおして救われた麻似姉と結婚に導かれ、二人で派遣されたことです。 当初は現在のOLD教会の宣教師たちと教会開拓に進む予定でしたが、松本夫妻はNPOの働きを選びました。そこにもくすしい主の御手があり、よって働きが多様性、豊です。食通である玄太兄は「米崎りんご」と出会いその美味さに感動しました。そしてこのりんごに復興の可能性を見、農家さんと関係を作り、現状と必要を知り、NPO法人「LAMP」設立に至るのです。陸前高田の未来を照らすランプでありたい、との願いが込められています。皆さんもぜひチラシをお読みください。練馬教会の皆様宛ての手紙も届いています。そこには玄太兄の真実な証が記されています(教会メーリングリストでも配信予定)。NGCビジョン『砂漠に川を、オアシスを』 エゼキエル47章のみことばのとおり、神殿(十字架)から流れ出るいのちの川は泳げるほどまで広がっています。