月別アーカイブ: 11月 2020

2020年11月29日

先回記した会堂一階での八百屋企画(当面は月に一度、先ずは12/16、13時~15時の予定)について、役員会で分かち合ったことを書きます。この企画の目的は宣教です。私たちの教会が10年以上取り組んでいる「地域に仕える教会」、愛の種蒔き、包括宣教の一環です。私は、海藤利文兄のお兄様である芳勝さんとの出会い、芳勝さんが営まれる八百屋の実績と評判、そして芳勝さんのお人柄と志、それらを鑑みて会堂一階で芳勝さんに野菜を販売していただけたら「地域に仕える教会」に繋がるのではと考えました。「だれでもどんな販売でも会堂で」などとは思っていません。「芳勝さんが営む八百屋だから」話を進めました。食事と福音が密接であることも含め。もちろん八百屋の収益は教会に入りません。この企画を通して地域の方々に教会がより身近になってもらい、また教会で美味しい野菜が購入できることや、芳勝さんが八百屋をとおして取り組んでおられる食育や福祉が教会の良き評判と繋がり、様々な人への伝道の機会になれたらと願います。また芳勝さんとそこで働いている海藤兄の長男、年央(ねお)さんともキリストを分かち合いたいです。 マタイ21:12-13に「主イエスの宮きよめ」が記されています。貪欲な商売人たちが神殿の「異邦人の庭」を占領し、ユダヤ通貨への両替や検査済みのいけにえ(鳩など)の販売の料金をふっかけ、悪らつな搾取をしていました。イエスは彼らを宮から追い出し、「異邦人の庭」を回復されました。今日、包括宣教の目的で会堂でバザーやカフェなど収益を伴う催しをする教会は多いです。今回の八百屋企画も然りです。しかしそれらを主イエスが「宮きよめ」するとは思えません。もちろん悪質な利益の場にしているなら別ですが。主イエスも使徒たちも包括宣教を進めました(マタイ4:23-25、使徒8:5-8他)。練馬グレースチャペルも初代教会のように人々から好意を持たれる教会でありたいです(使徒2:41-47)。そして人々が私たちの良い行いを見て、天の父をあがめるようになることを祈ります(マタイ4:16)

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2020年11月22日

現在、会堂一階で八百屋さん計画が進行中です。事の発端は、教会員である海藤利文兄のお兄様の芳勝さんが八百屋さんで(店名「マート城山」)、毎週木曜日、小竹向原駅近くで出張八百屋をしておられ、近所だったので妻が買い物に行きました。行ってビックリ、既に何十人もの主婦の行列ができています。芳勝さんと年央(ねお)さん(海藤兄の息子さん)はお客さんの質問に答えたり、お勧めの野菜や調理法を伝えたり、会話を弾ませながらテキパキと対応し、見たことの無い野菜も沢山並び、味見も豊富、とにかく活気に満ちています。妻が興奮していたのは、安さ!例えばマッシュルーム100gで100円、江古田のスーパーの半額! 早速、購入した野菜を家族で食べてみると、新鮮はもとより、味が濃くて美味しい!息子はブドウを「まんじゅうみたいに甘いよ~」と叫んでいました。 「美味しくて高い」は普通、「美味しくて安い」は福音です。ということで、会堂一階でも出張八百屋を開いていただけたらと願い、役員会の承認を得て、芳勝さんにお声かけしました。早速、芳勝さんは会堂の下見に来られ、先週の日曜日の夜には、オンライン(Zoom)で役員はじめ有志の皆さんに、芳勝さんのこれまでの八百屋の経緯や展開、そしてビジョンをプレゼンしてくだいました。芳勝さんはただの八百屋さんではありません。もちろんただ者でないのは承知済みですが、食育、発酵食品の重要性、そして福祉と、熱い使命感をもって八百屋を営んでおられます。現在、障がいを持つお子さんたちを受入れ、畑での収穫や袋詰め作業の体験会も行っておられ、教会一階はバリアフリーで完璧!と、会堂でもその活動をしていきたいと仰っていました。水曜開店、先ずは12月に一度、で現在計画中。私は、芳勝さんが意欲的に勉強し、様々な人と繋がりながら八百屋をされている姿に、高い使命感を持って仕事をすることの魅力と楽しさを味わいました。

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2020年11月15日

先週の礼拝は幸いな子ども祝福式を持ちました。可愛い陣内ななみちゃんの献児式も行いました。献児式、文字通り、幼子を神の御前にささげる式、両親は、幼子を神から託された子として、愛し育て守っていくことを神の御前に誓約します。改めて、子どもは「自分のもの」ではなく「預かりもの」、「自分の子」ではなく「神様の子」であることを覚えました。前回も書きましたが、私たち夫婦は「里親認定前研修」を受講したのですが、その中で「子どもの権利大憲章」を学びました。この憲章は約100年前、ヤヌシュ・コルチャックというユダヤ系ポーランド人の小児科医、孤児院院長、児童文学家によって起草され、現在の国連の「子どもの権利条約」の元となっています。コルチャック先生は、ユダヤ人孤児の孤児院を営みましたが、ナチスドイツのポーランド侵攻により、最後は強制収容所で子どもたちともに亡くなります。およそ200人の子供たちは、処刑場までの道のりを、歌を歌い、孤児院ドム・シェロト(ポーランド語で「孤児たちの家」の意)の旗を掲げて行進したそうです。 さて、「子どもの権利大憲章」は、「第1条、子どもには愛を受ける権利があります。」から始まり、第18条には「子どもには神様と親しく交わる権利があります。第19条、子どもには未熟のまま神様の許に召される権利があります。」と続きます。究極の権利です。同時に中心的な権利だと教えられました。どんなに手をつくしても救えない命があり、人間の力には限界があることを認め、人知を超えた神様にお委ねする、「人事を尽くして天命を待つ」ということ、言い変えるなら、子どもの養育を抱え込まないということです。この権利の尊重は子育てだけでなく、あらゆる人間関係において大事です。里親とは親代わりであり、子どもが実親と生活できるようになるための支援であると学んだこととも重なりました。 「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(Ⅰコリント3:6)

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2020年11月8日

私たち夫婦は二日間の「里親認定前研修」に参加しました。若い夫婦から初老の方々まで、里親を志す夫婦、中には親子も、50人程が集い(私たち世代が最も多かった)、社会的養護を必要とする子どもたちの養育について包括的に学ぶ、大変有意義なひと時でした。私にとって何が良かったかというと、一人の講師がこう言っていたのですが、「皆さんの里親志望動機を聞くと、例えば、悲しい虐待のニュースが飛び交う今日、私たちも児童養護に貢献していきたいとか、崇高なことを言われる方が多いのですが、それ、建前ですよね、本音は子どもが欲しいから、子どもと一緒に生活したいからですよね、しかし、それが大事です。楽しむ気持ちはとても大切です。どうぞ子どもとの生活を楽しんでください。」 まさに図星でした。なので、私にとって良かったのは、「里子の養育を楽しむ術」を学べたことです。中でもワクワクしたのは、里子を養育することで新しい出会いや繋がりが生まれることです。里子の養育は里親がするのではなく、行政、福祉、そして里親たちとの繋がりのチームでしていく、里親もそのチームの一員であるということを学びました。そのためのシステムもきめ細やかに構築されてきていて、日本の行政や福祉は凄いなと思いました。特に、地域ごとに里親の支部会が設けられていて、そこには何人もの里子を育てたベテラン里親さんもいて、何かあったら相談ができ、皆で遊んだり、互いに支援し合っています。「共同養育」と言っていました。現役の里親さんからもその実際談を聴けて、とても魅力を覚えました。そして私たち家族もその共同体のお仲間入りに。ワクワクします。大きな痛みを経験した子どもの養育は困難もあるでしょう。しかし「孤育て」でなく、「共同養育」です。心強く、楽しみです。そしてそれは教会の姿でもあります。 「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。」(マルコ10:14) キリストのからだ、神の家族の共同養育で!

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