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月別アーカイブ: 8月 2020
2020年8月30日
保育園の保護者面談のとき、息子の担任の先生は牧師である私たち夫婦にこう言いました。「散歩の途中で神社に寄ってお参りになったり、七夕祭りで短冊に願い事を書いたりするのですが、大丈夫でしょうか?配慮すべきことがありましたら遠慮なく仰ってください。」 よくよく聞くと、過去に宗教に関連することで親御さんから怒られたことがあったとのこと。私たちはそのお心遣いに感謝を表しつつも「何の配慮もいりません。普段通りにおこなってください。必要だったら先ず私たちが息子と話しますから」と答えました。息子には、寺や神社の慣習ある社会の中でどのような態度を取っていくか、自ら判断できる信仰者になって欲しいです。親の「ダメ」に従うだけでなく、何が良くて何が悪いのか、自ら取捨選択できる者へと。それが理想なのですが…。しかし今や、その類の戦いはスマホやSNSの方が強敵です。こちらの迫害の方が恐怖です。多くの親御さんは、子どもたちのスマホやSNSの取り扱いに手を焼いています。 先日、ある児童精神科医の以下の言葉が心に留まりました。「たっぷり甘えさせてあげた子ほど早く自立する」「自立は安心の上にある」。とても腑に落ちました。なぜなら、この言葉はある本から妻が紹介してくれたのですが、それは丁度、早天(朝のディボーション)の後で、まさに、みことばから安心が与えられ、「よし!」 と、やる気が湧いた直後だったからです。「自立は安心の上にある」、本当にその通りです。不安が依存を生み出します。古い 慣習や最新のテクノロジー溢れる社会の中で、子どもたち自ら取捨選択できる者へと成長する土台は、安心だということです。息子の内に、親への安心があるか、イエスさまへの信仰が息づいているか、たっぷり甘えることができているか、これが親である私の焦点ということです。さて、今年の七夕祭り、息子は短冊に「みんながコロナにかかりませんように」と書いていまし た。ぼく、イエスさま宛てに書いたんだよ!とのことでした。感謝。
2020年8月23日
こんなジョークを見つけました。―コロナ禍において、各国の政府が国民にマスクの着用を求めることになった。アメリカ政府はこう発表した。「マスクをする人は英雄です」。ドイツ政府はこう発表した。「マスクをするのがルールです」。イタリア政府はこう発表した。「マスクをすると異性にモテます」。日本政府はこう発表した。「みんなマスクしていますよ」。― 最近つくづく実感しますが、私たち日本人が最も恐れるのは、やはり、コロナより他者の目です。先日聖書を読んでいたら、使徒パウロが「同調圧力」について忠告しているのを発見しました。 「あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。新しいこねた粉のままでいられるように、古いパン種をすっかり取り除きなさい。あなたがたは種なしパンなのですから。私たちの過越の子羊キリストは、すでに屠られたのです。」(Ⅰコリント5:6,7) コリントの教会は同調圧力に脅かされました。カリスマリーダーや影響力のある人により、教会にも同調圧力が起こります。 「ですから、古いパン種を用いたり、悪意と邪悪のパン種を用いたりしないで、誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。」(Ⅰコリント5:8) 私たち教会は、古いパン種を取り除き、誠実と真実の「種なしパン」で祭りをします。つまり同調圧力ではなく、各々がキリストのみことばを食べ、分かち合うのです。同調するとしたら、聖徒たちの正直で誠実な、キリストとの親しい交わりです。日本人の良い面にも目を留めるべきです。私たちは身の回りに丁寧に目を配り、他者の迷惑にならないように留意し、自身の行動を律します。このような心遣いが、世界が驚く「おもてなし文化」を醸成し、ロックダウンせずとも爆発的な感染拡大を抑える要因となりました。キリストのみことばと和の文化を大切にする、私たち教会の在り方が見えてきます。
2020年8月16日
教会の働きにはドラマがありますが、今年の「こどもEnglish Camp」にも感慨深いドラマがありました。今年は何といってもコロナ禍です。これまでは7月にイム宣教師ご夫妻がアメリカに帰国した際に、魅力的なキャンプ教材を用意してくださったのですが、今年はそれが叶いません。そもそも開催できるかどうかも微妙です。さらに、これまで中心的に取り組んでくださった吉川美和姉が体調を崩され、静養が必要となりました。今年の開催は難しいと思いました。するとイム先生ご夫妻は、昨年の教材が24人分残っている、なので、感染防止が可能ならやりましょう、私たちだけでもできます、と言われました。私はその姿勢に心打たれ、やりましょう、と応答しました。 動き出してみると、奉仕者が一人、二人と次々に与えられてゆき、嬉しいことに初めての方も幾人もおられます。内容も、対象を幼児から小学校低学年にしぼり、地域の保育園や幼稚園の子どもたちや、「くれよん」を卒業した子どもたちに声をかけ、テーマは、Community Workers ~私たちのくらしを支えてくれている仕事~と題し、1日目「鉄道の仕事」、2日目「消防の仕事」、3日目「レストランの仕事」と、毎回ゲストを招いてお話してもらうという画期的なものとなりました。告知を始めると、見る見るうちに定員が満ちてゆきます。当日は、教会の前にママチャリがずらりと並び、子どもたちはキャッキャと喜び、スタッフは素晴らしいチームワークで、吉川美和さんも回復され、娘の明里ちゃんと一緒に元気に奉仕されています。参加した親御さんたちも、コロナ禍で遠出ができない中にあって、このような催しはとても感謝ですと、大変喜んでくださいました。開催できて良かったです。というか、私たちの想像を超える恵でした。Camp終了後、美和さんはこう言っておられました。「私が体調を崩したからこそ、多くの方々が関わってくださった形となり、そこに神様の御計画があったこと覚え、主の栄光をほめたたえます。」ハレルヤ。
2020年8月9日
教会の働きにはドラマがありますが、今年の「こどもEnglish Camp」にも感慨深いドラマがありました。今年は何といってもコロナ禍です。これまでは7月にイム宣教師ご夫妻がアメリカに帰国した際に、魅力的なキャンプ教材を用意してくださったのですが、今年はそれが叶いません。そもそも開催できるかどうかも微妙です。さらに、これまで中心的に取り組んでくださった吉川美和姉が体調を崩され、静養が必要となりました。今年の開催は難しいと思いました。するとイム先生ご夫妻は、昨年の教材が24人分残っている、なので、感染防止が可能ならやりましょう、私たちだけでもできます、と言われました。私はその姿勢に心打たれ、やりましょう、と応答しました。 動き出してみると、奉仕者が一人、二人と次々に与えられてゆき、嬉しいことに初めての方も幾人もおられます。内容も、対象を幼児から小学校低学年にしぼり、地域の保育園や幼稚園の子どもたちや、「くれよん」を卒業した子どもたちに声をかけ、テーマは、Community Workers ~私たちのくらしを支えてくれている仕事~と題し、1日目「鉄道の仕事」、2日目「消防の仕事」、3日目「レストランの仕事」と、毎回ゲストを招いてお話してもらうという画期的なものとなりました。告知を始めると、見る見るうちに定員が満ちてゆきます。当日は、教会の前にママチャリがずらりと並び、子どもたちはキャッキャと喜び、スタッフは素晴らしいチームワークで、吉川美和さんも回復され、娘の明里ちゃんと一緒に元気に奉仕されています。参加した親御さんたちも、コロナ禍で遠出ができない中にあって、このような催しはとても感謝ですと、大変喜んでくださいました。開催できて良かったです。というか、私たちの想像を超える恵でした。Camp終了後、美和さんはこう言っておられました。「私が体調を崩したからこそ、多くの方々が関わってくださった形となり、そこに神様の御計画があったこと覚え、主の栄光をほめたたえます。」ハレルヤ。
2020年8月2日
『キリスト教ラジオ放送局FEBCニュース』という機関誌に掲載されていた、「「時のしるし」を求めて」と題する対談番組での、英(はなぶさ)隆一郎神父(聖イグナチオ教会主任司祭)の言葉(メッセージ)が私の心に迫ったので、皆さんにシェアいたします。◆主イエスの御手を見つめる ―聞き手:(コロナ禍にあって)模索をしていく他無いことであっても、それが難しいからこそ、「昔に戻りたい」と思ってしまう人も少なくないと思うのですが。―英神父:「重い皮膚病を患っている人をいやす」(マルコ1:40-45)という箇所があります。「重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来て」(40節)、そして「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ」たと(41節)。当時、医学的にも宗教的にも、絶対触れては駄目だったのに、イエスはわざわざ手を差し伸べてその人に触れた…。これを新型コロナウイルスが流行している中で読んでいると、イエス様の凄さを思い知らされます。周りの人も驚いたことでしょうし、この人自身も驚いたと思います。でも、私たちが倣うとしたら、このイエス様の姿しかないだろうと思うのです。もちろん、感染症対策はしなくては駄目ですが、深く触れていくイエス様の憐れみの視線や生き方が、今も私たち一人ひとりの中にあるかどうか。いわゆる「新しい生活様式」と言われる中で、もし私たちの生き方が、「なるべく~しない」という消極的なものだけに還元されてしまうとしたら、クリスチャンの意味は無いとすら思います。何が出来るかは、人によって全然違うでしょう。失敗するかもしれませが、それでも絶え間ない工夫の中で、ある「新しさ」を発見できるかも知れません。イエス様が御手を差し伸べていくその動きに、どう私たちを合わせられるか。それが問われていると思います。」(一部抜粋) キリスト教ラジオ放送局FEBC/AM1566kHz/毎日夜9時半〜10時45分/インターネット放送あり