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月別アーカイブ: 5月 2020
2020年5月31日
約一か月半に及ぶ緊急事態宣言が解除されました。私たちは「緊急事態を生活する」という希にみる体験をしたわけですが、そこには、だからこそ与えられた「恵み」もあったかと思います。あなたにとって、その恵みを3つ挙げるとしたら何でしょう? この一区切り、振り返ってみるのも良いのでは。私にとって、第一は、新しい出会いが与えられたことです。この間保育園が休園になったため、私は午前中息子とよく公園に行きました。すると同じような親御さんたちと出会います。そして子ども同士が仲良くなると、親同士も仲良くなりました。教会のキッズイベントにも行きたいと言ってくれています。予想外の嬉しい展開でした。 第二は、これも予想外の展開でしたが、私たち親子三人による礼拝ライブ配信です。私と妻は配信をしていくにあたり、一つのことを心掛けました。それは息子が楽しくできるようにすることです。どうしても内々だと焦りや緊張感をそのまま出してしまいがちです。しかし練習においても本番においても、楽しい雰囲気作りに努めました。ただそれは、にわか仕立てでは無理で、一週間前から努めていく必要がありました。結局、今、私たち家族は「楽しい礼拝」を目指した一週間を歩んでいます。そして息子が礼拝を楽しんでいる様子を見て、妻と私はガッツポーズをしています。 第三は、宗教の意義を改めて教えられたことです。コロナ禍において重要なのは科学的、統計学的な根拠です。しかし、やはり人間はそれだけでは不十分で、各々が各々の「コロナ禍の意義」を受け取っていくことが心の安定、明日への光となります。そしてその役目が宗教にあります。つまり神の視点でコロナ禍を見ていくということです。そのために聖書のみことばはとても有益です。私たちはコロナ禍により、自分の都合がつけられなくなりました。よって神の都合に委ね、また合わせていくことができました。この体験は大きな恵みです。
2020年5月24日
最近私は4時過ぎには目が覚めてしまい机に向かうのですが、するとマンションの管理人さんの作業する音が聞こえてきます。ゴミ出しや階段の掃除など、ご夫婦でされているようです。玄関先等で挨拶を交わすと、「今日はいい天気だね~」と一声かけてくれます。ゴミ置き場はいつも清潔で、蛍光灯が切れたらすぐに交換してくれて、このような管理人さんがいてくださるからこそ、私は快適な生活ができるのです。 今、私たちはステイホームをしていますが、もし全員がステイホームをしたら私たちは生きていけません。管理人さんはじめ、ごみ収集、交通機関、食料品店、農家、医療、等々、「アウトホーム」をしてくださる方がいるからこそ、私たちは「ステイホーム」ができます。 先日、NHKラジオ第二の『宗教の時間』で、北九州市でホームレス支援をされる奥田知志牧師が、天地創造で人間が最後に造られた意味を述べていました。それは、人間は、全てのものがそろわないと生きていけないから、つまり、先に造られた、光、水、地、植物、生き物の助けを借りないと生きていけない脆弱な存在、だから人間は最後に造られたのだと。また奥田牧師は、灰谷健次郎の作品『太陽の子』の一節を引用して、人間と動物の違いを述べていました。それは、人間は他人の痛みを自分の痛みのように感じてしまうところ。人間は、他者を自分の中に住まわせる存在である、それは時に辛くて苦しくてしんどいこと、しかしそこに希望や喜びを見いだしていくのが人間なのだと。 創世記2章で、神様は「人はひとりでいるのは良くない」と助け手を造られます。私は、目をつむり深呼吸をしました。私の「ステイホーム」は「アウトホーム」の人たちによって支えられています。そのことを忘れてはいけません。また、はたして私は、心の中に何人の他者を住まわせているだろうか? もし自分だけだったら、それは人間ではないのです。
2020年5月17日
出エジプト記29章には「主へのささげもの」が記されています。心に留まったのは、全焼のいけにえとしてささげる子羊に添えて、上質のオリーブ油を混ぜた最良の小麦粉十分の一エパ(2.3ℓ)と、ぶどう酒四分の一ヒン(950㎖)もささげられているということです。 「それは芳ばしい香りのため」(29:41) とあります。ただささげるのではない、「芳ばしい香り」を添えるのです。私たちの生活に適用するなら、料理にもうひと手間加えるとか、贈り物は綺麗な風呂敷に包むとか、礼拝にはパリッとしたシャツを着るとかいうことでしょう。先日、役員会が持たれました。コロナ禍のためオンライン(Zoom)、その他はメール上で決算総会に向けての重要な協議がなされたのですが、私は役員さんたちのまさに成熟した大人の対応に改めて感心し、学ばされ、素晴らしい役員会を感謝しました。皆さんは自分の意見をはっきりと言い、相手の意見はしっかりと聴きます。その姿勢や言葉使いには互いへのリスペクトを忘れず、冷静に俯瞰して観ることも怠らず、最後は、神さまがこのように導いて下さったと全員で主を見上げます。役員さん一人ひとりから「芳ばしい香り」が放たれていました。 今、コロナ禍によりストレスを覚えている人が多くいます。しかし悲しいかな、そのはけ口なのか、ドラックストアやスーパーの店員に暴言を浴びせたり、「自粛警察」と称される人たちが自分本位の注意や非難を発して、相手を傷つけていることが多く起こっているようです。今はなおさら「何を話すか」より「どのように話すか」を心掛けることが大事です。芳ばしい香りを添えていくことが。それは相手へのリスペクトであり、共同体の雰囲気となります。私の姿勢、言葉使い、身なりは、はたして芳ばしい香りを放っているだろうか、私の周りの方々から香る芳ばしい香りに癒され勇気づけられながら、自分をクンクンと嗅いでゆきたいと思います。
2020年5月10日
出エジプト17:8-16は、約束の地カナンに向かうイスラエルと、それを阻止してくるアマレクとの戦いです。イスラエルは勝利するのですが、その要因はヨシュア率いるイスラエルの戦士たちではなく、戦いが終わるまで丘の頂で両手を上げ続けたモーセにありました。しかしモーセも、アロンとフルの支えがなければ両手を上げ続けることはできませんでした。勝利した後、モーセは祭壇を築き、「主の御座の上にある手。主は代々にわたりアマレクと戦われる」と主を礼拝しています。主がアマレクと戦われたので、イスラエルは勝利することができたのです。ヨシュアと戦士たちは、主がアマレクに勝利するとの信仰によって戦い、モーセも同じ信仰によって両手を上げ続け、アロンとフルも同じ信仰によってモーセの両手を支え続けました。そして言うまでもなく、これらは私たちのことでもあります。では、あなたにとってのアマレクとは何でしょう? 先週の水曜日、『JCMNミッションラリー 規制国への宣教』がオンラインで催されました。現在、規制国へ長期宣教師として派遣される準備を進めている安ちゃんを支え、ともに歩んで行くための集いで、もちろん、私は参加する予定でした。しかし、正直言うと躊躇がありました。私はこのような大勢の集いが苦手なのです。しかし、その前日の朝のディボーション箇所がこの「アマレクとの戦い」で、「あ~これが私にとってのアマレクだ~」と光当てられました。私は悔い改め、思いを新たに集いに参加しました。オンラインには北海道から九州まで、中学生からご年配の方まで50名程が集い、午後は、安ちゃんの派遣先のチームの宣教師たちも海外から参加してくれました。そこには多くのヨシュアと戦士たち、モーセとアロンとフルがいました。安ちゃんの派遣は、私たちの派遣であることを改めて教えられました。「主の御座の上にある手。主は代々にわたりアマレクと戦われる」アーメン!あなたにとってのアマレクとは何でしょう。
2020年5月3日
先日、教会のご年配の方と電話で会話する中で、その方はこう言われました。「私たちクリスチャンは困難に合えば合うほど強くされますね。」 なるほど、確かにその通りです。主イエスの山上の説教の第一声は「心の貧しい人は幸いです。」で始まり、終わりは「義のために迫害されている者は幸いです。」でした(その後も説教は続きますが)。「使徒の働き」や教会史を観ると、クリスチャンたちは困難の中にあって「幸い」を獲得していました。実は、私たちクリスチャンはタフなのです。なぜなら、私たちは困難であればあるほど主を求めて祈り、主のみことばに飢え渇くからです。主の力は、私の弱さのうちに完全に現れます(Ⅱコリント12:9)。我たちの主は十字架と復活の主です。さて、コロナ禍に突入してから私の心に響き続けているみことばがあります。それは 「あなたはわたしの友です。」(ヨハネ15:14) との主イエスの宣言です。 「友のためにいのちを捨てる」(同13) とも主イエスは言われます。そして実行されました。今、あなたとイエスさまとの友情は如何ですか? 集まることができない今、この問いかけはなおさら鮮明です。あなたは、誰かとではなく、主イエスと心と心が響き合っていますか? 一方で主イエスは、 「二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイ18:20) とも言われます。今、一堂に会することはできませんが、二人か三人なら電話やオンラインで交われます。緊急事態宣言は延長されるようです。皆さん、この間「日々のディボーション」と「互いの声かけ」を大事にしていきましょう。コロナと関係なくこれが教会の生命線です。基本に立ち返りましょう。週に一度とか、二人か三人で一緒にディボーションするのも良いと思います。垣根を越えて声をかけ合って。実は、クリスチャンとはタフなのです。