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月別アーカイブ: 2月 2020
2020年2月23日
アブラハムと言ったらクリスチャンならだれもが知る信仰の偉人です。しかし、ひとたびアブラハムの歩みを見るなら、彼はとても身近な存在です。その一例が、創世記16章の妻サライ(当時の名)と女奴隷ハガルの確執です。ある時、サライは苦渋の決断をし、夫アブラム(当時の名)に、自分は子が産めないのでハガルとの間で子を得て欲しいと進言します。アブラムはそれを受け入れ、ハガルは身ごもりました。するとどうでしょう、ハガルは女主人であるサライを軽く見るようになりました。サライはこの屈辱に憤慨し、アブラムに訴えます。「あなた、今の状況分かっているでしょ、なにボケっと突っ立ってんのよ!」と言わんばかりに。アブラムはサライに「ハガルを好きなようにしてよい」と答えました。するとサライはハガルを苦しめます。その様子を想像するのは難しくありません。ハガルがサライのもとから逃げ去るのは時間の問題でした。アブラムは頭を抱えました。突如アブラム家に起こった大問題、ここに三者三様の弱さと苦悩が見えます。そして、アブラムにこの問題を解決することはできませんでした。 ときに、私たちの前にも解決できない問題が横たわります。見せつけられるのは自分や相手の問題や弱さばかり。しかしこの物語は意外なところから解決が与えられます。サライのもとから逃げ去り荒野をさまようハガルのもとに、主の使いが臨みました。そしてその結果、ハガルはサライのもとに帰り、再び女主人に仕えていきました。アブラムの知らないところで主は働かれ、アブラム家の問題は解決しました。そして今、同じ【主】が私たちの上に臨んでおられます。私の知らないところ、届かないところ、私が寝ている間に、主は臨み、働いてくださいます。さて、荒野で主と出会ったハガルは、主の名を「エル・ロイ」(私を見て(顧みて)くださる神)と呼びました。私たちも同じ告白を持って、十字架の主を仰ぎましょう。
2020年2月16日
皆さんは「アルゴリズム」って知っていますか?簡単に言うと「問題を解決するための手順・方法」で、コンピューターが情報を処理するための基盤とのこと。そして、アルゴリズムの発展が「AI」人工知能です。今やアルゴリズムは、チェスや囲碁の名人が太刀打ちできない程まで進化し、AIは私たちの暮らしに浸透しました。スマートフォンはその典型で、最近では、何か調べたいときにはスマホに向かって話しかけ、すると瞬時に音声が応答し、情報をずらりと表示します。いや~、便利になりました。AI技術の発展は、19世紀の産業革命に匹敵する「AI革命」をもたらすと言われています。確かに、これまで人がしていた仕事を益々AIがするようになるわけで、仕事のあり方は大きく変わって行くのでしょう。さて、このようなAI技術の発展を聞くと、私の心には一つ不安がよぎります。それはSF映画に出てくるような「AIの暴走」です。やがてAIは人に反抗するのでは?!私はその危険を調べて見ました。すると、当分その心配はなさそうです。「知能」と「意識」は別物で、「意識」の研究はまだ殆ど進んでいないとのこと。なので、今私たちが危惧しなければならないのはその反対で、AIは常に主人に従順で、決して反抗しないこと、つまりAIを駆使する「人間」こそ、一番の危険とのことでした。それも、ヒットラーのような独裁者ではなく、AIを駆使する一握りのエリートに富と権力が集中し、益々不平等な社会となり、多くの人が「存在意義の喪失」に苦しむ危険があると(ユヴァル・ノア・ハラリ著『21Lessons』より)。 聖書は、終わりの時代に「666」という刻印のない者は、物の売り買いができなくなると告げています(黙示録13:16-18)。AI社会を彷彿するかのようです。しかし「666」です。「それは人間を表す数字である」と聖書は教えます。7は完全数、6は7でなく、7に達することはなく、どこまで行っても「666」。私たちは全知全能なる神の御前で、AIを管理し、神の栄光のために用いる者でありたいです。
2020年2月9日
先日、ホリ○モンのYouTubeチャンネルを観ていたら、「キリスト教では仕事は呪いだから」と言っていて、私は思わず「それは違う」とツッコミを入れてしまいました。確かに聖書は、罪の結果、人は「苦しんでそこから食を得ることになる」(創世記3:17)と、仕事が労苦となったと告げています。しかし、本来、神は人をエデンの園を耕し治める「仕事をする存在」として創造しました(創世記1:27-29)。人は仕事を通して、神の恵みを享受し、神の栄光を現します。仕事とは、神に似せて創られた人の本質です。で、先週のディボーションで「仕事」について教えられました。 「それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。~すると、王は彼らに答えます。 『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(マタイ25:34-40) 御国を受け継ぐ「仕事」とは、最も小さい者たちの一人に愛を表していくことだと教えられました。しかも、彼らは、主イエスにしていたなどとは全く気づいていませんでした。つまり、彼らは御国を受け継ぐ“ために”愛を表したのではありませんでした。彼らは、Giveand Takeではなく、主イエスの愛に倣って愛を表しました。十字架を仰ぎ見ないとできません。これこそ仕事、「仕える事」です。
2020年2月2日
先日、私の親戚の青年の就職祝いをしました。彼は約2年間就活をし、300枚以上のエントリーシートを書き、100社以上面接を受け、ようやく春を迎えることができました。大学では山岳部でしたが、まさに不屈の足腰、本当に頑張りました。 で、先週彼から、就活について自分の言いたいことを代弁していると、一本の動画を紹介されました。元公務員による公務員試験の面接対策だったのですが、その元公務員曰く、公務員の仕事の基本とは、議会(政治)が出した結論を理論化させること、つまり、議決した内容を住民に説明し納得してもらうこと、とのことでした。ときには個人的に反対の政策であっても「素晴らしい」と言わなければならないことがある、なので、公務員に求められるのは「個人の意見」ではなく「求められる意見」が言えること、相手を喜ばせて納得させる技術、つまり、忖度できる技術、そして、それらが面接の技術に繋がっているとのことでした(あくまで個人的見解ですが)。 100回以上面接を受けた親戚の青年は、これらは自分が受けてきた企業にも当てはまると思ったそうです。ときに、本音を隠し忖度しながら面接を受けなければならいことが苦痛だった、しかし、良きも悪きも、こうやって社会は回っているのだと学んだと彼は言っていました。 確かに、一理あります。では、その中で私たちキリスト者社会人はどのように歩んでいくのでしょう?特に、NGCのビジネスマンの皆さん、キリスト者として職場の中でどのように歩んでいますか?自分はこのことを心掛けている、これをし続けている、日々これと戦っている、等々、キリスト者ビジネスマンとしての信念をお持ちでしょう。皆さんからそれらを学びたいです。また、それらを互いに学び合える場があったら良いと思います。そして、その場に私の親戚の新社会人も入れたら良いと思いました。