月別アーカイブ: 1月 2020

2020年1月26日

今日、教会の高齢化が叫ばれています。しかし、「高齢化した教会」と「高齢者が元気な教会」とでは雲泥の差があると、最近のNGCを見て思いました。NGCのご年配の皆さんは元気です。今、NGCで盛り上がっている活動に『シニアカフェ』がありますが、毎月第三日曜の午後の一階、テーブルを囲んでシニアの皆さんの会話が弾んでいます。それはもう高校の昼休みのよう! また、『歌声喫茶ひだまり』もシニアの皆さんが盛り上がっています。生バンドの伴奏のなか皆で懐かしい唱歌を歌います。歌詞も大型モニターに映し出され、もはや礼拝堂は大カラオケボックス!本当に楽しそうです。私はこれらの活動を見ながら高齢者が元気な教会の要因を見つけました。それは、高齢者と若い人たち(次世代)が一緒になって活動しているということです。『歌声喫茶ひだまり』の運営は高齢者と次世代の混合チームによって行われています。若い人たちはご年配の皆さんの意見を参考にし、ご年配の皆さんは若い人たちにリードされ、そこにパワーと魅力があると思いました。先回も御年84歳の本荘さんがテキパキと受付係をされていました。なんと麗しい光景でしょう。また、『シニアカフェ』の交わりも、よく見ると若い人も参加しています。その気持ち何となくわかります。シニアの皆さんの間にいると肩の力が抜けてきますから。実は、ご年配の皆さんの包容力を若い人は欲しているのです。 今日、「1人で3人の高齢者を支える時代」と言われますが、見方を変えるなら、「3人の高齢者に1人の若者が支えられる時代」とも言えるのではないでしょうか。「高齢者が元気な教会」は素敵です。それは高齢者と次世代が一緒なって活動している教会、また、高齢者に次世代が応援されている教会です。そして、それを文字通り可能にするのが、ともに同じ「主」を見上げていることです。私たちは主にある家族です。そして、それは「世の光」です。

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2020年1月19日

練馬教会出身で、長野県栄村で中国料理店『樓蘭(ローラン)』を営んでおられる渡辺俊男兄から手紙が届き、大変感動しましたのでシェアいたします(一部編集)。 「2020年を持ちましてコック人生を終えます。30歳にて生涯の伴侶である幸子と巡り会い、37年間共に走り続けて来た道。世田谷区千歳船橋をスタートに、3人の子供に恵まれ、多い時には4人のコックと10数名のパートの皆さんに囲まれ地域の食堂として仕えてきました。57歳でスローライフを決め、長野県栄村に第二の人生を求め移住、ところが開始そうそう震度6の地震に遭い前途多難、しかし「ワンコイン(500円)バイキング」で活路が開き、休日には長い行列ができるまでに祝されました。4年前、40年間日本人に仕えてこられた宣教師夫妻がアメリカに帰国。途方に暮れる中、宣教師の息子クリフト・ボブ氏と共に15名程の小さな群れのための働きを開始、この地域には珍しくアメリカ人、フィリピン人、韓国人、イギリス人が集うグローバルな教会です。3名の受洗者が与えられ(一人は寺の娘さん)、もっか「聖書の学び」に6名の方々が来られています。3年前に開店時の借金1千万円の返済が終了。祈りの中で「世の働きから退きなさい」と示され、半日営業を実施し、残りの時間は聖書の勉強と伝道と教会の働きへ。また、晩年余力のあるうちにと、教会墓地の設置とこの地でのキリスト教葬儀確立に全力投球中。妻70歳(元気です)、私66歳(二度の救急搬送、一度目は心臓で、二度目は昨年仕事中に高度の熱中症で一週間休業)、どうかこの一年を完走できるようにお祈りください。104歳で召された義母の言葉が困難な時にいつも背中を押してくれました。「神に従う者を神は辱め賜わず」。新聞記事で心に留まった栄村村長、高橋彦芳氏の言葉、「米作り、学ぶこと、老いの価値を大事に」の一点に惹かれ、限界集落と言われるこの地に導かれ(他に楽に生活できた場所はいくらでもあったが)、妻は「年金を投入してまでなぜ続けなければならないの」と苦言を言いつつも、いつも側にいて助けてくれました。一番の変化は、日曜クリスチャンで受けるばかりの者が、与えていく者に変えられたことです。皆さまの祝福 を祈りつつ。渡辺俊男、幸子」

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2020年1月12日

BeingとDoingという言葉があります。「であること(存在)」と「やること(行動)」主イエスさまはインマヌエル(神は私たちと共におられる)なるお方です。主は私が「いる」という存在を喜び、私の「業績」や「持ち物」によって近づかれるお方ではありません。しかし、ふと自分の心を見つめると、Doingの方に価値を置いています。このお正月も、思ったとおりに出来ていないことや、願った通りに達成していないとなどが心を巡り、「ふう」とため息をつくことがありました。そんな朝のディボーション、イエスさまのみことばが響きました。 「しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたが言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい」(マタイ5:34-37) 私の人生は「自分で誓っていく人生」から、「主に導かれる人生」へと変えられました。インマヌエル(神は私たちと共におられる)とは、「神が私の人生を用いてくださる」ということでもあります。主イエスさまが私を導き、私に働かれます。私はイエスさまの「はい」を「はい」、「いいえ」を「いいえ」として歩んでいくのです。さて、気がつくと、私のため息は深呼吸へと変わっていました。2020年もBeingを大切にしてゆきます。それは、朝飯前の主との交わりです。そこからDoingは沸き上がります。

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2020年1月5日

2020年が始まりました。今年はどんな年になるでしょう?私の心には昨年の霊修会から響き続けている一つのみことばがあります。それはエペソ書が述べる聖書の「奥義」です。 「その奥義とは、キリストにあって神があらかじめお立てになったみむねにしたがい、時が満ちて計画が実行に移され、天にあるものも地にあるものも、一切のものが、キリストにあって、一つに集められることです。」(エペソ1:10) 2020年もこの「奥義」が着実に実現していくということが、聖書に立つ私たちの見るべきところではないでしょうか。そして、それは世界の動向を見てもうなずける話です。先日、NHKの番組の中で世界的に著名な経済学者が「世界は一つになっていく」と言っていました。近年「持続可能な社会」という言葉をよく耳にするようになりましたが、いよいよ切実になってきた地球環境の危機は、各国を一つにさせ、もはや、自国や自社の利益だけを言ってはいられない世界となりました。余談ですが、“One Team”を掲げ、私たちに大きな感動を与えてくれたラグビー日本代表チームは多国籍チームでした。今年はオリンピックイヤーです。オリンピックも近い将来国対抗の意味をなさなくなるのではと思ったりもします。さて、新年早々ちょっと躊躇するのですが、しかし私たちが無視をしてはならないこととして、旧約の預言書、主イエスの終末の教え、ヨハネの黙示録が共通して教える、キリストにあって一つとなる奥義へのプロセスは、「試練、患難をとおって」であるということです。厳かです。私たちはいよいよキリストを仰ぎ見て歩まなければなりません。先程のエペソ書のみことばはこう続きます。 「またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。」(エペソ1:11,12)

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