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2023年4月9日
マルコ15:1-20、主イエスが死刑判決を受けていく場面からのデボーション。ユダヤ最高法院の祭司長、長老、律法学者たち、また、ローマの総督ピラト、裁判に集まる群衆は、そこで何をしていたのか? じっくり読んで(静聴して)いると、「反応」という言葉が浮かび上がってきました。祭司長たちは、人々がイエスのことを「王」と言っていることに反応しました。最高法院での協議はそこに油を注ぎます。イエスを縛ってピラトに引き渡しました。ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを知っていました。しかし彼も反応し、真実な裁判は不可能でした。当然、群衆は祭司長たちの扇動の思いのままです。夫々が反応し合い、渦となり、うねりとなって十字架に至る、しかし、その只中に「反応しない」主イエスがおられます。「ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」祭司長たちは多くのことでイエスを訴えるが。」しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。」(4,5)。 私は主体的でありたいのです。しかし、悲しいかな、反応的です。反応的に我を通し、自分は正しい、逆に、自分はダメだ…、教会ですら、反応の渦にのみ込まれてしまいます。しまいには、牢に繋がれている極悪人バラバを釈放し、イエスを十字架につけろと叫ぶのです。それほどまでに正常な判断ができなくなり、盲目となる人の弱さ、恐ろしさ。しかしその只中で、主は祈られます。 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)。 この主イエスの祈りは、私たちの救いです。なぜ、主イエスは、もはや何も答えようとせず、沈黙し、十字架を忍ばれたのか? それは、私に反応せず(天の軍団を呼んで、打つこともできたのに)、反応する私と最後まで共にいて下さるためでした。そして、救い主、イエス・キリストは、死よりよみがえられました。
2022年9月25日 中東短期宣教旅行記③
中東短期宣教旅行記③ (1)家庭訪問 私が最初に家庭訪問をしたのは7人の子どものいる家庭でした。この家庭は古い戸建てに住んでおり、子どもたちと長縄跳びができるほど丈夫で広いリビングでした。お父さんはニューシティーではエンジニアでしたが、ここでは肉屋で鶏肉をさばいています。子どもたちはNGOが運営する学校に通い、13歳の息子は朝8時から夜8時までスーパーで働いていました。15歳の長男はドイツに移住していました。これは両親の意向で、今住むこの国の経済状況は悪化の一途、当初は歓迎された難民も端に追いやられ、将来に希望が持てなくなりました。よって難民を受け入れるドイツに長男を先に移住させ、将来家族で移住する計画です。印象に残ったのは長男がドイツに向かった行程です。ブローカーの手によって北アフリカ(チュニジアと言っていたと思う)から地中海を難民船でイタリアに渡り、陸路ドイツに向かいました。このことは日本でも大きく報道されていたので驚きました。難民船の航海は命がけです。 次に訪れた家庭は6か月の赤ちゃんはじめ6人の子どもがいましたが、子どもたちの誕生日は親も不明で、これまで誕生日を祝ったことがないそうです。なので、私たちは大きなケーキを用意し、子どもたち全員の誕生Partyをしました。とても喜んでくれました。ケーキを食べた後、お父さんはあんちゃんと私を畑に連れ出し一枚のスマホの写真を見せました。彼の父親で足は糖尿病で腫れていました。動けないのでニューシティーに残っており、しかし治療費が捻出できず、このままだと足を切断しなければならない。彼は自らの臓器を売ることを考えていました。臓器売買のことは報道で知っていたので驚きました。彼は日本に支援してくれる団体があったら伝えて欲しいと言い、そのことを宣教師のリーダーに伝え、ニューシティーの病院と伝手があるので連絡してくれることになりました。彼は「私は子どもたちを育てているが私も父に育ててもらった、だから父を助けたい」と言っていました。 つづく
2022年9月18日 中東短期宣教旅行記②
中東短期宣教旅行記② 私にとって最も「百聞は一見に如かず」だったのが宣教です。中東宣教は難しくて危険だとだれもが思うでしょう。もちろん、私たちが接したのはニューシティーの難民の方々なので総論とは言えませんが、ただ、確かに彼らは日本人よりもオープンでした。私たちは普通にイエスの名を語ることができたし、イエスの御名で癒しの祈りをすることもできました。キリスト教とイスラム教は共通点があるので、聖書や信仰についても語り合うこともでき、福音を伝える機会もありました。彼らはよく耳を傾けてくれました。 さて、他にも興味深かったのはコロナです。現地はノーマスク、もうコロナ禍は終わっていました。ほとんどの人がマスクをしている日本とは別世界で、複雑な思いになりました。情報溢れる日本、しかしそれが大きな「縛り」になっていることも実感しました。前記した、道路に信号機、横断歩道、センターラインがない交通事情も、それでも事故は多発しないのです。ルールが少ない分それぞれ自分で気をつけるからでしょう。色々考えさせられます。日本を離れて異文化の地から日本を見つめる、これも「百聞は一見に如かず」の恵みでした。 ~2.救いを必要とする人々にキリストのからだはとどいている~ 私たちを迎えてくれたニューシティー宣教チームは、ニューシティーからの難民の人々に宣教しています。救いを必要とする彼らにとって宣教師たちは「福音」でした。チームメンバーは香港人3人、ブラジル人2人、そして日本人1人、さらに香港人の中東宣教コーディネーター、計7名(内、男性2人)の国際チーム、いや、神の国チームです。私たちはチームがこれまで関係を築いてきたニューシティーの人々の家庭を訪問し、チームのアラビア語の先生たち(ニューシティーの方々)と交流し、他の団体の宣教師が経営するニューシティーの子どもたち対象の学校で、英語クラスを担当させていただきました。(1)家庭訪問。私が最初に家庭訪問をしたのは7人の子どものいる家庭でした。 つづく
2022年9月11日 中東短期宣教旅行記①
中東短期宣教旅行記① 8月9日~20日、私は、北谷緑さん(香川県/津田キリスト教会)、小手川知行さん(岩手県/OLD)、エディさん(同OLD宣教師)と共に中東短期宣教に参加しました。そこでのかけがえのない恵を記します。*「ニューシティー」とは宣教チームが目指している国のこと。現在チームはその国からの難民の人々に仕えている。1.百聞は一見に如かず。アブダビ経由13時間のフライトを終え、私たちは現地の空港に到着しました。あんちゃん(NGCから遣わされている宣教師)はじめニューシティーチーム3人が迎えに来てくれていて、早速バンに乗り込み宣教地に向かいました。かつてこの国はフランスの統治下にあり、首都は「中東のパリ」と呼ばれていたそうですが、街は雑然、賑やか、茶褐色に覆われています。行き交う車もポンコツ車から高級車まで一様に砂ぼこりをかぶり、信号はなく、道路の中央ラインは意味をなさず、まるで池袋の雑踏を人を避けながら歩くように車が走り抜けていきます。道路脇には途切れなくゴミが散乱しています。造りかけのビルも目につきました。過去の隣国との戦争で破壊されたまま放置されたそうです。 遠く離れた異文化の地に来ました。しかし人々からは生命力を感じます。市街地を抜けるとそこには聖書の舞台を彷彿させる荒野が広がっていました。私は今回の旅ほど「百聞は一見に如かず」を実感したことはありません。報道での中東はどんなにか一面的であるか。先ずは暑さ、正直、東京の夏の方が過酷です。人々はとてもフレンドリーでした。私たちが通りを歩いていると「どこから来たの?」と気さくに声をかけてきて、「ようこそ」と笑顔で立ち去っていきます。難民テント村を訪れたときも、沢山の子どもたちから「僕の家に寄っていってよ」と誘われ、大人たちからも「我が家でコーヒー飲んでいって」と招かれました。人生、あんなに歓迎されたことはありません。もし日本で人間関係に疲れた人がこの地に来たら、きっと癒され、励まされるのではないかと思いました。 つづく
2022年9月4日
先日、清々しくなる「選択」をすることができました。教会の隣はディスカウントショップです。しかし最近倉庫になったようで、教会の前に頻繁にトラックが停まり荷物の出し入れをするようになり、時には解体作業をしています。ちょっと騒々しくなりました。そればかりか道路に部品クズが散らかるようになりました。釘のようなものも落ちており車が踏んだらパンクします。さすがに私は作業をしている金髪の若い従業員にきちっと片付けるよう注意しました。その後はしばらく綺麗でした。しかし、先日早天祈祷会の前に教会前を掃いていると、また部品クズが散らかっているではありませんか。前回注意したことが伝わっていない!!こうなったら強く注意しなければ。その日の午前中、牧師室で仕事をしているといつもののトラックが来て、いつもの若い従業員がタンスの解体を始めました。私は、よっしゃ、ガツンと言ってやろうと立ち上がりました。しかし、ふと、「待てよ、ここで私は彼にどのような態度を取るのか?どのような言葉をかける?ここでの私の選択は重要だ」と立ち止まりました。私の選択は、彼に部品クズの片付けを徹底してもらうだけでなく、キリストを証する機会ともなります。私は腰を椅子に下ろして思い巡らしました。そして決めました。 冷蔵庫に冷やしてあるペットボトルのお茶を取り出し、若い従業員のもとに行きました。彼は炎天下の中、汗びっしょりで作業をしていましたが、「お疲れ様です。暑い中いつも大変だね。この作業はいつまで続くの?」と話しかけると、彼はおどおどしながら答えます。すかさず私は「いつも教会の二階から作業を見ていて大変だなと思って、これ飲んで頑張って下さい」と冷たいお茶を差し出しました。すると彼の顔がパッと明るくなり、「いいんですか。ありがとうございます。」と喜んで受け取ってくれました。そして部品クズのことを伝えました。その後は綺麗に片付いています。彼と挨拶を交わすようにもなりました。
2022年8月28日
使徒6章、教会内の食事のことで苦情が上がり、使徒たちだけでは対処できず、教会の運営面で奉仕する七人を選出しました。その選出基準に改めて注目します。「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」(3)。普通は「その仕事の能力と経験に満ちた、評判の良い人たち」です。さて、選出された七人(現在でいう教会役員)の一人ステパノは「食卓のこと」(教会内)にとどまらず、社会の人々の間でも「大いなる不思議としるし」を行っていました。つまり主を証する仕事ぶりだったということです。すると、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々が立ち上がり、ステパノと議論をします(9節)。「会堂に属する人々」という表現が引っかかります。えてして議論や対抗は「私は~に属している」という意識から起こります。しかしステパノは「御霊と知恵に属して」いました。彼が語るときの知恵と御霊にだれも対抗できません。すると対抗者たちは常軌を逸します。彼らは人々をそそのかしてステパノを陥れるための偽情報を発信させ、最高法院に訴えて偽りの証人を立たせ、「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。」と偽証させました。この不条理な圧倒的な圧力の前にステパノは言葉を発することができなくなりました。しかしどうでしょう。「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(15)。ステパノはここでも「御霊と知恵に満ちた」人でした。教会の食卓に仕える時も、社会の中で働く時も、不条理な攻撃にさらされる時も、御霊と知恵に満ちている。私たちもかくありたいです。では、御霊と知恵に満ちるにはどうしたらよいのでしょう? 使徒たちは「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(4)と言いました。これは使徒たちの「役割」に関することですが、「姿勢」はみな同じです。私たちは「祈りとみことばに専念する」ここから、私たちの内に御霊と知恵は満ちていくのです。
2022年8月21日
朝、私がベランダ菜園の作業にいそしんでいると、妻と息子が「くさい」と言ってきます。私が丹精込めて作っている発酵肥料をくさいと言うのです。確かに匂います。しかしそれは、マックのピクルスの匂いではないですか。今、私は野菜クズ、卵の殻、珈琲カスが愛おしくてたまりません。他にも、摘み取った野菜の芽や葉、何なら道端の落葉でさえ、「これはいい発酵肥料になるぞ」と思ってしまいます。カスが「肥し」になるのだから、なんて魅力的ではないですか!その作業も楽しいのです。ぬか漬けを作るのと変わりません。野菜クズを入れては、微生物を豊富に含んだ『生ごみ処理材』(糠とほぼ同じ)をまぶし、手でかき混ぜます。だんだん発酵してくると、プーンとピクルスの香り、そのままつまんで食べたいくらいです。またそれらから出る残留液もフルーティーで、水で500倍ほどに薄めて植物に散布すると液肥になります。排水口に注ぐと消臭剤になります。微生物群が雑菌を食べてくれますから。もう、パーフェクトです。私が愛おしいと言うのを皆さんわかりますよね。それを妻と息子はくさいと言うのです。しかし、冷静に考えると確かにくさいです。ご近所の迷惑にならぬよう気をつけなければなりません。しかしなぜ私は「いい匂い」なのか? それは私が手間ひまかけて作っているからです。身近であり、愛おしいからです。だから「くさい」ではなく「いい匂い」なのです。匂いってけっこう影響力がありますよね。カレーも鼻をつまんで食べたら何がなんだかわかりませんから。実は、体臭も相手との相性をするうえで重要な役割を果たしているといわれています。 「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」(Ⅱコリント2:15)。 私は妻と息子に香ばしいキリストの香りを放つ者でありたいです。そう願いながら、今日もベランダ野菜作りにいそしんでいます。
2022年1月2日
明けましておめでとうございます。星野富弘さんの『渡良瀬川』という詩をご紹介します(一部抜粋)。 「私は小さい頃、家の近くを流れる渡良瀬川から大切なことを教わっているように思う。まだ小学生の頃だっただろう。岸のそばの浅いところでピチャピチャやって、ときどき流れの速い川の中心に向かって少し泳いでは引き返して遊んでいた。ところがその時、どうしたはずみか中央に行きすぎ、気づいた時には速い流れに流されていたのである。私は必死になって手足をバタつかせ、元の所へ戻ろうと暴れた。しかし川は恐ろしい速さで私を引き込み、助けを呼ぼうとして何杯も水を飲んだ。水に流されて死んだ子供の話が頭の中をかすめた。しかし同時に頭の中にひらめいたものがあったのである。それはいつも眺めていた渡良瀬川の流れる姿だった。深い所は青青と水をたたえているが、それはほんの一部で、あとは白い泡を立てて流れる、人の膝くらいの浅い所の多い川の姿だった。たしかに今、私がおぼれかけ流されている所は私の背よりも深いが、この流れのままに流されていけば必ず浅い所にいくはずなのだ。「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」下流に向かってしばらく流され、見はからって足で川底を探ってみると、なんのことはない、もうすでにそこには私の股ほどもない深さのところだった。 怪我をして全く動けないままに、将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか・・・、流されている私に今できるいちばん良いことをすればいいんだ」その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつ薄れていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って、歯をくいしばりながら一日一日を送るのではなく、むしろ動かないからだから教えられながら生活しようという気持ちになったのである。」
2021年12月26日
詩篇77篇は、弱り果てた筆者の神への叫びです。「私は神に声をあげて、叫ぶ。~ 神を思い起こして、私は嘆き悲しむ。思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。あなたは、私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れ、ものを言うこともできません。~ 主の恵みは、とこしえに尽き果てたのか。神は、いつくしみを忘れられたのか。怒って、あわれみを閉ざされたのか。」(1-9)。悲痛な祈りです。しかし、10節のみことばを契機に筆者の祈りは変わります。「私はこう言った。「私が弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったからだ」と」(10)。このみことば以前の焦点は「私」でした。しかしこれ以降の焦点は「神」です。私が弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったから。つまり、私が弱り果てたのも「神の主権」にある。私は神を見つめる、主はどのようなお方か?「私は、主のみわざを思い起こします。~ 私は、あなたのなさったすべてのことを思い巡らし、あなたのみわざを、静に考えます。神よ、あなたの道は聖です。~ あなたは奇しいみわざを行われる神。国々の民の中で御力を現される方。あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを。~ あなたの雷の声は、戦車のように鳴り、稲妻は世界を照らし、地は震え揺れ動きました。あなたの道は、海の中。その通り道は大水の中。あなたの足跡を見た者はいませんでした。あなたは、モーセとアロンの手によってご自分の民を、羊の群れのように導かれました。」(11-20)。 2021年が閉じます。私たちも77篇の筆者のように、「私」から「神」へ焦点を切り替えたいと思います。私たちの神は、イスラエルの民を出エジプトさせ、海を分け、その間を導かれた主です。2021年の主のみわざを静に考えましょう。主はどのようなお方であるのかを確認し、御名をたたえましょう。 「-主のことば- 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8,9)。
2021年6月6日
最近教えられたことを書こうと思います。緊急事態宣言発出により、計画を見直さなければならないことが度々起こります。先日開催した『ワーキングユースの集い』もそうでした。私たち主催チームは、初回なので対面を重視して延期にするか、それともオンラインで開催するか、迷いました。最終的に牧師である私の判断により延期の方向になりました。その後、私は動機を探られました。緊急事態宣言だから仕方がない、しかしそこに甘んじてはいないだろうか、攻めていない、リーダーである私の姿勢は大事、こんな時だからこそ交わりが必要ではないか…、私は主催チームにその旨伝え、再度協議し、オンライン開催に変更しました。結果、開催して本当に良かったです。 こんなこともありました。『NGCデボーションスクール』が開催します。講師の江渕篤史&深雪ご夫妻が力を注いで準備してくださっていますが、〆切日が近づく中で、申込者は少数でした。そんな折、ある方から電話がきました。家を片付けている最中に大事な鍵を紛失してしまったので、見つかるように祈って欲しいとのことでした。私は祈りました。すると一分後に再び電話がきて、先程とは打って変わって晴れやかな声で、「ありがとうございました。見つかりました。」と言われるのです。思わず、早っ、と言ってしまいました。祈りの力を目の当たりにしました。しかしそれ以上に、その方の純粋に主に助けを求め、教会に祈りの助けを求める信仰に、心打たれました。私は倣って、デボーションスクールに必要な方が導かれるよう祈って欲しいと役員会に依頼しました。12名の方が申し込まれました。ハレルヤ。私たちは「待ち望む」者です。「待ち」つつ「望む」のです。コロナ禍、緊急事態宣言、なら仕方がない、次第に「待つ」が「甘んじる」にすり替わる。怠惰な私は気をつけなければなりません。 「アブラハムよ」「はい、ここにおります(はい、御前に)」(創世記22:1) いつ何時でも、この姿勢が「待ち望む」であると教えられました。