次の「なぜ」はどのような「なぜ」だと思いますか?
「なぜ、国々は騒ぎ立ち、もろもろの国民は空しいことを企むのか。なぜ、地の王たちは立ち構え、君主たちは相ともに集まるのか。主と、主に油注がれた者に対して。」(詩篇2:1,2)。
「神さまなぜですか?」と苦悩の「なぜ」か、それとも、「万軍の主に敵対するなんて!」と驚きの「なぜ」か、あなたの「なぜ」はどちらが多いでしょう? 詩篇2篇の「なぜ」は後者です。地の王たちは、主と、主に油注がれた者に敵対します。しかし詩人は「天の御座に着いておられる方は笑い、主はその者どもを嘲られる。」(4)と神の視点で見つめます。「主に油注がれた者」も言います。「主は私に言われた。「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与える。地の果ての果てまで、あなたの所有として。あなたは、鉄の杖で彼らを牧し、陶器師が器を砕くように粉々にする。」(7-9)。よって詩人は確信に満ち、「それゆえ今、王たちよ、悟れ。地をさばく者たちよ、慎め。恐れつつ、主に仕えよ。おののきつつ震え、子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。」(10-12)と叫ぶのです。あなたは自分の王国を広めるのか、それとも、王なる主に仕えるのか! そして詩人は結びます。「幸いなことよ、すべて主に身を避ける人は。」(12)。私たちの前に敵や問題が立ちはだかります。しかし、油注がれた者(メシヤ)がおられることと、メシヤが成し遂げられたこと、成し遂げられることを知っているのと知らないのでは、雲泥の差です。使徒4章、ペテロとヨハネは主に従ったゆえに拘束されました。しかし教会は上記の詩篇2:1,2を朗読し(使徒4:25,26)、祈ります。
「主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」(使徒4:29,30)。