2023年5月28日

会堂玄関横の、みことばや説教題を掲示しているモニターの下に、可愛い手作りのフェルト人形が飾られているのをご存じですか? 佐伯美和姉が自主的に飾ってくれています。人形のクオリティーはプロ級です。また、季節に合わせてシチュエーションを変えてくれて、毎回新しい人形が登場し、今は「梅雨を楽しむぐりとぐら」です。とても嬉しいのは、この飾りが千川通を歩く人たちに大好評なのです。特に、お散歩する保育園の子どもたちは毎回立ち止まり、キャッキャと盛り上がっています。人形たちが変わると、「ほら、見て、見て、新しいお人形さんたちだよ。」「あ、こいのぼりだ!」「かわいい~」と、先生と子どもたちの楽しそうな会話が聞こえてきて、二階で仕事をしている私たちは、本当に嬉しいです。

子どもたちに人気の理由がもう一つあります。動物たちに交じって、ポケモンのキャラクターも登場しているからです。小学生たちが特に喜んでくれています。写真を撮っている大人の方もいます。ポケモンキャラクターを飾ることに関しては、事前に美和さんから相談を受けました。私は、まったく問題ありません、と答えました。このように、自発的に、自分の賜物を用いて楽しみながら、目線を地域の人たちに合わせて、教会と地域をつなげる伝道の働きをしてくださって、私はとても嬉しく思っています。すると先日、妻が目を丸くして私のところへ来ました。教会のポストに、可愛らしい、手書きの、絵入の手紙が入っていました。たぶん小学生の女の子の文章です。

「いつもフェルトの作品のすばらしさに元気を頂いております!「コイキング」も「コダック」もすてきです。学校に行くのも楽しい気分になります。ありがとうございます!」

なんて嬉しいことばでしょう、そのように思ってくれているなんて、手紙を書いてくれるほどに喜んでくれて。ハレルヤ! 早速、妻はその手紙を美和さんに届けました。

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2023年5月21日

小笠原先生の退任に接し、記念誌に掲載されている、私の主任牧師就任式のときの小笠原先生の奨励のことばを読み返しました。私事で恐縮ですが、教会にも語られたことなので、ここに載せさせていただきます。

「エリシャは、「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」と2回も言いました。横田先生も、私から、練馬教会から離れさせる要素が、内から外から何度かあったと思います。横田先生は責任を沢山負わせられると逃げたくなり、そのたびに祈って取り扱いを受けておられました。エリヤもエリシャを自立させるためでしょうか、離れなさいと言っています。しかしエリシャは離れませんでした。横田先生も離れませんでした。どこまでもついて行ったのです。離れるに離れられないのが子弟の関係なのです。今朝、私は横田先生と握手の挨拶をしましたが、走馬灯のように横田先生との絆、関係がせまってきて涙が出そうになりました。またエリシャはエリヤにどこまでもついて行き、「あなたの霊の、二つの分け前を私にください」と言いました。霊の二つの分け前とは、長子が受ける分であって、霊の相続をさせてくださいと言う意味です。財産や地位の相続ではなく、キリスト直結の霊の相続です。横田先生は、私が長い期間をかけていただいた神からの霊的恵みのすべてを受けておられます。これはキリストの恵みの奇蹟です。」(55年記念誌P182/一部抜粋)。

改めて霊の感動、主への畏怖を覚えました。そして小笠原先生への感謝が溢れます。私は牧会の大事な場面に遭遇すると、この時小笠原先生だったらどうするだろう?と考えます。もちろん、教科書を開くように小笠原先生の牧会スキルを見つめるのですが、その行き着くところは、キリストとともに自分に死に、御霊を仰いで集中する小笠原先生の信仰です。これこそ、私が受け継がせていただいた「霊の二つの分け前」です。同じ主、一つなる主を、仰いでまいります。

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2023年5月14日

私は新年度から聖協団越生教会の主任牧師にも任命され、先日、初めて礼拝の奉仕に行ってきました。同じく新年度から、張・勲(チャン・フン)&旨子(よしこ)師夫妻ファミリー(かわいい三兄弟)も青森県弘前市から赴任しています。5月から新たに、教会学校の奉仕者のための礼拝が8:50から始まりました(60,70代の2名のご婦人が長年奉仕をされています)。旨子先生は子ども伝道に重荷があり、力を注いでいこうとしています。また、賛美チームも始動しました。チャン先生がギターを弾きながらリード、役員のお二人がピアノとコーラスを担当し、礼拝の初めに新しい賛美の歌声が響きます。礼拝人数はご年配のご婦人中心に十数人ですが、誠実に礼拝に集う3人の40代男性がいます。

その日の礼拝は子ども祝福式を行い、5人の子どもたちを皆で祝福しました。子どもも大人もみな笑顔です。礼拝後は昼食をともにしながら役員会でした。すると、前の庭に野鳥がやってきて、美しい大きな声で鳴き始めました。珍しいようで、Googleで鳥の名前を調べ、「小鳥も役員会に参加したいようだね」と言いながら、穏やかな雰囲気です。議題は新しいプリンターの購入やチャン先生夫妻の保険加入の件など、皆、積極的、前向きに話し合っています。夏にはぜひ教会の庭でBBQをやりたいね、私COSTCO(大量に肉を買えるアメリカのスーパー)会員になりました、いい匂いに連れられて隣のおじさんもまた来るよ、と話が盛り上がります。

私はその様子を見ながら、しみじみ、教会っていいな~と思いました。皆で教会を建て上げ、福音を分かち合っていく、本当に幸いなことです。私は礼拝説教を「恵みの支配」と題してヨシュア記12章から話しました。そして13章は次のみことばから始まります。「ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。【主】は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。」 主の恵みの支配を覚え、主のビジョンに歩みます。

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2023年5月7日

先日の礼拝後にご紹介しましたが、NPOホサナ「シンプルライフ」のニュースレター『いこい』掲載の文章を読み、私は、なんていのちある文章なのだろう!と感嘆しました。シンプルで、力があり、心温まる、私には書けない文章です。ニュースレターの部数に限りがあったので、ここでもご紹介します。

~「引きこもりを語る会の感想」(執筆者、れなさん) 良かったです。最高です!「引きこもりを語る会」をやってみて、引きこもって良かったなって思います。引きこもりをしなかったら、皆の前で話すこともなかったから…。引きこもったおかげで、こういう機会が与えられて良かったです。参加してくださった方々と出会えたことも感謝しています。引きこもらなければ、出会えなかったと思うので…。シンプルライフに入ったきっかけは、ニュースレター『いこい』を見て、最後のページに「引きこもりを語る会」のことが書いてあり、それを読んで行って見ようと思いました。それで、次回はいつやるのかなとスタッフに聞いたら、「引きこもりを語る会」をやろうと提案した人が引きこもってしまったので、いつになるかわからないと言われました。スタッフが、その引きこもった人に「新しく入った若者が引きこもりに関心があるみたいですよ。」と伝えました。そしたら、その引きこもった人が出てきて、今回の『引きこもりを語る会』を開催する運びとなりました。その会の準備をしている間、緊張感がありました。緊張するのは幸せなことだと思いました。最初は「引きこもりを語る会」で100%力を出して、その後燃え尽き症候群になって、次の目標はどうしようかと、皆の前で悩みを話すぐらい自信がありました。いざ当日発表してみたら、20%しか力を出せなくて、まだまだ成長する部分はあるなと、燃え尽き症候群にはならず、第3回目へ向けて頑張ろうと思いました。これから「引きこもりを語る会」だけでなく、いろいろなことにチャレンジしていきたいと思います。ハグは幸せなものですね。

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2023年4月30日

前回、私が教団の「教会の相応しい閉じ方検討チーム」(仮称)に任じられたこと、そしてネヘミヤ記1章のネヘミヤの祈りから、姿勢が正されたことを書きました。実務は「教会の閉じ方」の検討ですが、中心は「教会の再建」です。さて、ネヘミヤはペルシアの王からユダヤ属州の総督に任じられ、ユダヤ人の祖国再建のためエルサレムに向かいました。彼は城壁再建に取りかかります(ネヘミヤ記4章)。すると周辺から妨害が入ります。ホロン人サンバラテは「この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえを献げようというのか。一日で仕上げようというのか。焼けてしまった石を、瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか」(2)と言い、アモン人トビヤは「彼らが築き直している城壁など、狐が一匹上っただけで、その石垣を崩してしまうだろう」(3)と言いました。しかしネヘミヤは彼らの愚弄を祈りに変えます。「お聞きください、私たちの神よ。私たちは軽蔑されています。彼らの侮辱を彼ら自身の頭上に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。~。」(4,5)。ネヘミヤは神の約束に立ち、否定的な声を祈りで弾き返すのです。こうして城壁は半分の高さまで築き直されました。「民に働く気があったからである。」(6)が印象的です。

しかし5章に入ると、今度はユダヤ人内部に問題が生じます。城壁再建中に飢饉が起こり、経済格差に陥り、対立と抗議が吹き荒れるのです。ネヘミヤはこの事態に激しく腹を立てました。しかし彼は「十分考えたうえで」(7)、対処をします(7-13)。そして6章、ついに城壁は完成しました。ネヘミヤは声を上げます。「周囲の国々の民はみな恐れ、大いに面目を失った。この工事が私たちの神によってなされたことを知ったからである。」(16)。私も否定的な声を祈りに変え、生じた問題には十分考え、任じられた仕事に取り組んでいこうと、再び心新たにされました。

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2023年4月23日

残念なことですが、昨今、日本中で教会が閉じられています。基督聖協団も例外ではありません。そして閉じ方に問題も生じています。よって教団理事会は、今後に備え「教会の相応しい閉じ方検討チーム」(仮称)を立ち上げ、私も一員となりました。必要な仕事であり、仕事内容も私の賜物が生かされそうで、積極的に取り組んでいこうと思いました。しかし先日のデボーションでハッとさせられました。ネヘミヤ記1章、ネヘミヤの祈りです。ネヘミヤはバビロンで生まれ、ペルシアの王の献酌官でした。ある日ネヘミヤは、ユダからやって来た者たちから祖国の状況を聞きます。バビロン捕囚を生き残った者たちは大きな困難と恥辱の中にあり、エルサレムの城壁は崩され、門は火で焼き払われたままだというのです。それを聞いたネヘミヤは嘆き悲しみ、数日間断食して主に祈りました。その祈りを今日に適用するなら「教会回復の祈り」です。私にネヘミヤのような祈りがあるだろうか? 仕事というだけでなく、教会の困難と恥辱を私は理解しているだろうか? ネヘミヤはイスラエルの罪を自分の罪として悔い改めるほどの迫りを受けたが、私はどうか? 何よりもネヘミヤは、主は契約を守り、回復を望まれ、回復されるお方であることを、みことばから受け取って祈っています。私はどうだろうか?

「どうか、あなたのしもべモーセにお命じになったことばを思い起こしてください。『あなたがたが信頼を裏切るなら、わたしはあなたがたを諸国の民の間に散らす。あなたがたがわたしに立ち返り、わたしの命令を守り行うなら、たとえ、あなたがたのうちに散らされた者が天の果てにいても、わたしは彼らをそこから集め、わたしの名を住まわせるためにわたしが選んだ場所に連れて来る。』」(ネヘミヤ記1章:8-9節)。

ネヘミヤの祈りは、主とその約束に立ち返ったところから生まれました。主に立ち返るのは、先ず、私です。私に必要な備えでした。みことばの迫りに感謝します。

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2023年4月16日

エズラ書は70年に及んだバビロン捕囚からイスラエルが帰還していく書ですが、静聴する中で、

「霊を奮い立たせた」(1:1,5)

のみことばが心に響きました。神はご自身のみことばを成就させるために、召した者たちの霊を奮い立たせました。興味深いのは、最初に霊を奮い立たせたのは、バビロン帝国を滅ぼし台頭したペルシアの王キュロスでした。異国の王キュロスはみことばを読んで奮い立つのです。旧約聖書の多くはバビロン捕囚時代に完成したといわれていますが、キュロスがみことばに触れ、そこに記されている天地万物の神、主、そして主の民、その約束と計画を知ったのは想像に難しくありません。キュロスは、神の使命を受け取って霊が奮い立ち、在留ユダヤ人に向かって命じます。

「あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神がともにいてくださるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮に建てるようにせよ。」(1:3)。

これを聞いたユダヤ人たちの霊も奮い立たないわけがありません。

「神が彼ら全員の霊を奮い立たせたのである。」(1:5)

と記されています。そして、ある者たちは主の宮を建てるためにエルサレムに上って行き、ある者たちは財を進んで献げて後方支援をしました。まさにリバイバルです。先日ヤフーニュースで「米国でキリスト教離れが止まらない、教会の閉鎖も急増中」という記事を読みました。教会から足が遠のき始めている人たちが感じているは、最近の教会から「燃えるような使命感」を感じない、すでにタオルを投げてしまったような教会が増えている、ということでした。確かに「タオルを投げてしまった教会」に魅力は感じません。リバイバルとは主の時、主の業です。しかし今私が問うべきは、私の霊は奮い立っているだろうか?です。いつもみことばによって霊が奮い立たち、波紋のように広がって主の民が協力していく、そのようにして、主の時に備える教会でありたいです。

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2023年4月9日

マルコ15:1-20、主イエスが死刑判決を受けていく場面からのデボーション。ユダヤ最高法院の祭司長、長老、律法学者たち、また、ローマの総督ピラト、裁判に集まる群衆は、そこで何をしていたのか? じっくり読んで(静聴して)いると、「反応」という言葉が浮かび上がってきました。祭司長たちは、人々がイエスのことを「王」と言っていることに反応しました。最高法院での協議はそこに油を注ぎます。イエスを縛ってピラトに引き渡しました。ピラトは、祭司長たちがねたみからイエスを引き渡したことを知っていました。しかし彼も反応し、真実な裁判は不可能でした。当然、群衆は祭司長たちの扇動の思いのままです。夫々が反応し合い、渦となり、うねりとなって十字架に至る、しかし、その只中に「反応しない」主イエスがおられます。「ピラトは再びイエスに尋ねた。「何も答えないのか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているが。」祭司長たちは多くのことでイエスを訴えるが。」しかし、イエスはもはや何も答えようとされなかった。それにはピラトも驚いた。」(4,5)。

私は主体的でありたいのです。しかし、悲しいかな、反応的です。反応的に我を通し、自分は正しい、逆に、自分はダメだ…、教会ですら、反応の渦にのみ込まれてしまいます。しまいには、牢に繋がれている極悪人バラバを釈放し、イエスを十字架につけろと叫ぶのです。それほどまでに正常な判断ができなくなり、盲目となる人の弱さ、恐ろしさ。しかしその只中で、主は祈られます。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカ23:34)。

この主イエスの祈りは、私たちの救いです。なぜ、主イエスは、もはや何も答えようとせず、沈黙し、十字架を忍ばれたのか? それは、私に反応せず(天の軍団を呼んで、打つこともできたのに)、反応する私と最後まで共にいて下さるためでした。そして、救い主、イエス・キリストは、死よりよみがえられました。

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2023年4月2日

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が日本優勝で幕を閉じました。妻は全く関心がありませんでしたが、私は大いに盛り上がりました。準決勝のメキシコ戦と決勝のアメリカ戦は、ライブ観戦なんて無理、特にメキシコ戦なんて、途中スマホで戦況を確認すると3-0で負けているではありませんか、もう戦況は見ない、結果を確かめることもなかなかできませんでした。

今回のWBCにどのような感想がありますか? 私が印象に残ったのは、侍ジャパン(日本代表チーム)メンバーがこぞって「謙虚」であったことです。謙虚なダルビッシュ選手や大谷選手や栗山監督の影響も大きいと思いますが、私は「時代が変わった」ことを改めて認識しました。リーダーシップやチームワークの在り方が変わったのです。誰もが他者へのリスペクト(敬意)を表します。栗山監督は「選手同士が1つにまとまるということが一番大事で、それが、うまくいかない時に監督が手伝うというふうにしか思ってない」と自身のリーダーシップを語っていました。チームをまとめるうえで、最年長のダルビッシュ選手の存在は大きかったそうです。実は、ダルビッシュ選手は今大会、調子が良くなかったそうで、それは、あまりにも皆の練習に付き合って、皆のためにやって、決勝戦の前も若いピッチャーにアメリカのバッター情報を教えていて、自分が投げるのにもかかわらず、そこまでチームに貢献して…、チームがまとまるのも納得です。

栗山監督はこうも言っていました。「個人は大事ですけど、誰かのために頑張っているという面が野球にはあるので、そういう面も伝わったらうれしいなと思います。人を助けてあげるというのは、自分が力をつけないと人を助けてあげられない。試合中も人のミスをカバーできないので。そういうのを、何回かミーティングで伝えさせてもらっちゃいました。選手たちの方が持っていましたね。」 また、こうも言っていました。「信じて、任せて、感謝する。」 謙虚さの何たるかを教えられました。

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2023年3月26日

エステル記5章はエステル一世一代の大勝負です。王の側近ハマンが仕掛けたユダヤ人滅亡計画を阻止できるのか、その命運は王妃エステルにかかっていました。育ての親のモルデカイは「あなたが、この王国に来た(王妃の位についた)のは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」と言い、エステルも「ユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食してください。私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」と覚悟を決めます。王に召されていないのに王宮の中庭に入る者は死刑です。ただし、王がその人に金の笏を差し出せばその人は生きながらえます。

三日後、エステルは王妃の衣装で正装し、王宮の奥の中庭に立ちました。エステルの命はいかに…、王は金の笏を差し出しました。そしてそこから、すべてが良い方向に動き出していきます。王はエステルの要求に真摯に耳を傾けました。またある夜、王は寝つきが悪いので年代記を読んでいると、過去に二人の側近が王の暗殺を企て、それをモルデカイが阻止したという報告を見つけます。そしてそれが好機となり、ユダヤ人滅亡計画は阻止されていくのです。

人生には一世一代の決断をする時があります。それは己の人生のみならず、家族や周りの人の人生をも左右させる重大な選択です。そしてそこから、まるで朝日が昇るかのように良い方向に動いていくということがあるのです。あなたにとってそれはどのような時でしたか? エステル記から教えられるのは、大事なのは、その時までをどのように歩んできたのか?ということです。エステルは何を着て、どこに立ってきたのか? それがあってこそ、王はエステルに金の笏を差し出しました。今私は、何を着て、どこに立っているのか? モルデカイのように神の前に誠実な仕事をしているだろうか? そのような日々の歩が、一世一代の大勝負の時の真実となるのです。

「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり」(ルカ16:10)。

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