No.194 7月14日

練馬教会出身の牧師に児玉悦寛&とく先生ご夫妻がおられます。とても尊敬する牧師ご夫妻です。特に私はその忠実さに感銘を受けてきました。先生ご夫妻は九十九里浜近くの若潮教会で牧会をしてこられましたが、例えば、牧師会の会場が遠く離れた青梅教会であってもご夫妻は大概一番のりでした。教団の諸々の集会で児玉先生ご夫妻を見ないことはありませんでした。ご夫妻はいつもご一緒で、いつも穏やかで、その内面に主イエスへの信仰の炎を見ました。私は児玉先生のぼくとつで、しかし霊的に深い洞察がある説教が好きです。また、とく先生はお会いする度に私の手を両手で握り、優しく力強い信仰のことばでいつも励ましてくださいました。しかし今年の2月、とく先生は80年の生涯を全うし天に凱旋しました。とても寂しかったですが、とく先生への感謝と、イエス様の御許でゆっくり休んでくださいとの思いの方が大きくありました。同時に、これから児玉先生はどうされるのだろう、若潮教会はどうなっていくのだろうと、モヤがかかったような思いにもなりました。児玉先生も80代です、後継者も定まっていません。しかし、先週の牧師会で今の若潮教会の幸いな様子を伺いました。現在、若潮教会は教団の同じ千葉県の牧師4人で交代に毎週の礼拝を導き、信徒の皆さんもその礼拝をとても喜び、不思議に礼拝人数も増えて会堂がいっぱいになるというのです。児玉先生もその教会の様子を大変喜んでおられ、ご自身は背後での働きに専念しておられると先日電話で伺いました。モヤは晴れました。若潮教会は硬直化するのではなく新しく動きだしていました。すると、天に召されたとく先生が、あのエノクと重なりました。

「信仰によって、エノクは死を見ることがないように移されました。神が彼を移されたので、いなくなりました。彼が神に喜ばれていたことは、移される前から証しされていたのです。」(ヘブル11:5)

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No.193 7月7日

私は公園が好きです。良い天気の休日はよく家族で公園に行きます。代々木公園、新宿御苑、上野公園、そして池袋南公園、なぜか都心の公園が好きです。皆さん、南池袋公園に行ったことありますか?数年前にリニューアルして、それまでの薄暗い公園が、広大な芝生とお洒落なカフェのある開放的で美しい公園に生まれ変わり、ここは恵比寿か青山か、ってな感じです。江古田にも沢山公園があります。私のお気に入りは江古田駅北公園、駅の近くですが通りからは全く見えず、路地を入った住宅地にいきなり広がる公園で、「こんなところに公園あるんだ~」と、私は江古田に随分住んでから発見しました。知る人ぞ知る隠れスポットで、創造的生産をするときは、早朝、コーヒーを片手にこの公園のベンチに行きます。また、もう一つのお気に入りは江古田の森公園です。ここは私のジョギングコースで、森と言うだけに巨木が鬱蒼と生い茂り、その間をジョギングするのは気持ち良いです。私の田舎、飯能にも公園はあります。しかし、住んでいた頃は見向きもしませんでした、というか意味が分かりませんでした、住んでいる場所自体が奥武蔵自然公園なのですから。やはり公園の魅力は都市にあります。都市に公園は必要です。そういえば、聖なる都、新しいエルサレムの中央にもいのちの水の川が流れる大通り公園があります(黙示録22:1,2)。また、聖書のはじまりはエデン公園でした。神は人に命じました、

「すべての生き物を支配(管理・ケア)せよ。」(創世記1:28)

手つかずの大自然も魅力的ですが、よくよく考えてみると、人の管理とケアとデザインが行き届いた、人と自然(被造物)の調和ある公園も魅力的です。なぜなら、人に自然は破壊され続けているのですから。もしかしたら、公園が好きなのは、エデンの園の記憶と新しいエルサレムへの憧れが私の内に息づいているからなのかもしれません。公園を楽しみ大事にしたいと思います。

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No.192 6月30日

先週、「声なき者の友の輪(FVI)」の柳沢美登里さんから興味深い話を伺いました。美登里さんは長年バングラデシュで活動して来られましたが、日本の青年海外協力隊と共働することも多く、その中でよく起きたのが日本人スタッフと現地スタッフとの衝突だそうです。とは言っても、日本人スタッフが我慢の限界に達して爆発するのが常で、理由は、現地スタッフが時間を守らない、違う話をする、計画通りに進めない等々、日本人スタッフは「だからベンガル人は…!考えられない!」とこき下ろし、時には取っ組み合いになることもあったそうです。しかし美登里さんはというと、ひと呼吸おいて、彼らの良い面もあるよね、と互いに尊重しあう協力を目指せるように促すことができたそうです。なぜできたのか?美登里さんは言いました、「父を通して訓練されていなければ、そんなことはできませんでした。」美登里さんは父親とよく衝突したそうです。我が道をゆく父親の言動に「考えられない!」と何度も叫び、しかし、それによって「考えられないこと」を受け入れていく筋力が美登里さんの内に鍛えられてゆきました。あの時のタフな経験はこの時のためだったのだとバングラデシュで何度も思ったそうです。数年前、美登里さんの活動の拠点は日本に移りました。それはお父様の介護が大きな理由で、現在、美登里さんはお父様の介護をしながらFVIの働きを進めておられます。以前はキリスト教を毛嫌いしていたお父様も数年前に洗礼を受けられ、今は毎週礼拝に集っておられます。最近、お父様はご近所さんに「あなたも教会にぜひ行くと良いですよ」と言ったそうです。今まで家族のだれも言えなかったことを父親は言った、考えられないことを平気でする父だからこそなせる業、と美登里さんは柔和に言っておられました。神さまは私たちを訓練し、次のステージに備えてくださるお方です。

「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。」(へブル12:5)

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No.191 6月23日

最近私の嬉しいことの一つは、教会のお隣さんと挨拶を交わすようになれたことです。もちろん、以前から通りですれ違うことはありましたが、「あの方お隣さんだよな」と思いながらも挨拶をするタイミングを失い、そのままずるずると来てしまいました。しかし新会堂が完成し、献堂式のご案内を差し上げることをきっかけに、はじめてお隣さんとお話することができたのです。話してみると、なんと清瀬グレースチャペルの川島恂兄(元中学校教師)の教え子だと言うではありませんか。また、笑顔の絶えないとても気さくな方で、献堂式にも喜んで出席してくださいました。それからというもの、通りで挨拶を交わせるようになり、最近では、朝、会堂で早天祈祷会をしているとガラス越しに会釈を交わすようにまでなりました。そして先週、お隣さんは早天祈祷会中に玄関をノックして来られました。私は玄関に跳んで行くと、お隣さん、「先日旅行に行って来たのでこれ召し上がってください」と、わざわざ教会にお土産を買ってきてくださったというのです。ビックリしました。そして嬉しかったです。近々ジャガイモの収穫なので、是非おすそ分けしようと思いました。お隣さんは聖書を読んでみたいそうです。教会に差し上げることのできる聖書があることをお伝えすると、今読んでいる幾つかの本を読み終えたら是非いただきたいとのことでした。以前、小笠原先生から昔お隣さんと地境のことで苦労があったと聞きました(今のお隣さんではありませんが)。しかし時を経て、今、お隣さんとの“関係の地境”がこのように広げられているのが感謝です。このことも新会堂建築の大きな恵みの一つです。ハレルヤ。「ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。」」(Ⅰ歴代誌4:10)

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No.190 6月16日

母親と父親の違いが面白いです。例えば、道を歩いていて息子が転んだりすると、妻は「あっ、大丈夫!痛かったでしょ~怪我していない?」と走り寄って打ったところ撫でます。一方私はというと、転んだ息子を客観的に見ながら「大丈夫だ、たいしたことない」と言って、息子が自分で立ち上がるのを見守ろうとします。『父となる旅路』(豊田伸行著/いのちのことば社)の中で著者は、父の愛とは無条件の愛でありながら期待に応えることを求め、その期待に応えた者を「承認する愛」であると述べています。確かに、ありのままを受入れてもらうのはもちろんのこと、「よくやった」と承認してもらったときも大きな愛を感じます。息子も、何かを達成したり、私との約束を守れたりしたときは「パパ、僕できたよ!」と意気揚々と報告してきます。私は「凄い、よくできたな」と頭をくしゃくしゃと撫でてあげると、本当に嬉しそうです。実は私、子どもの頃に父から承認された(褒められた)記憶が思い出せないのです。母の期待に応えている記憶はすぐ出てくるのですが…。きっと表現の苦手な典型的な日本の父親なのでしょう。しかし父親から承認されたなら、それはどんなにパワーとなることか!私は今、息子を育てながら、息子が私に承認されることを求め、私も要所で息子を承認してあげて、そうすると息子が嬉々と喜んでいる姿を見ながら、私の心にも父の愛が浸透してきているように思います。

「(キリストは)ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。」(ピリピ2:7-9)

イエスは父なる神の期待に応え、全うし、父なる神は「息子よ。よくやった!素晴らしい!」と絶大な承認の愛をイエスに注ぎました。このような霊の父が、日本中に起こされていきますように。(横田)

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No.189 6月9日

昔カルト化した教会に集っていたことのある方が、その教会が最も強調していることは「神の御声に聞き従うこと」と言っておられるのを聞いて驚きました。なぜなら私たちの教会も同じことを強調しているからです。では、私たちもカルト化しているのでしょうか、いや、いやそんなことありません。そんなことに決してなりたくありません。では何が違うのでしょう、先週私は考えました。パウロはテモテに

「俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。」(Ⅰテモテ4:7)

と言っています。テモテへの手紙の中でパウロはテモテに何度も敬虔の大切さを教えています。「敬虔」とは神を敬い尊ぶ心です。「敬虔」はどのように育まれるでしょう、それは私はじまりではなく神さまはじまりで、神さまはどのようなお方で、私にどのように接しておられるのか、敬虔はそこから芽生えます。『境界線~バウンダリーズ~』(ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント著/地引網出版)という本の中に、「神は私たちの『ノー』を尊重されます」とありました。皆さん、神さまに対しても「ノー」と言えるのは大事です。聞き従うことの真逆ですが。以前、幼児が成長の過程で通る「イヤイヤ期」は大事だと習いました。ノーと言える人格の成長は健全です。またノーと言えるのは、ノーと言っても受け入れてくれるという信頼があるからです。私たちは父なる神の子どもで、僕ではありません。時にノーと言います。しかし、そんな私に神さまはどのように接しておられるのか、そのことをみことばと敬虔な人を通して体験的に知っていくことにより、私たちのうちに真の神を敬い尊ぶ「敬虔」が育まれます。さて、先程の本の中に、「ノー」を言える自由からのみ本当の「イエス」が生まれる、とありました。本当にその通りです。教会の中にノーと言える自由をどこまで守れるか、それは牧師である私の大切な取り組みなのです。

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No.188 6月2日

前回のボクシ・ボイスでは、ネットの口コミ評価が普及した今日、周りの人たちが宣伝してくれる時代となったと記しましたが、先日同じような嬉しい出来事がありました。先週の日曜日の夜は栄町住民である佐伯さんと私で栄町町会の総会に出席しました。総会は粛々と進み、決算報告の時のことです。「練馬グレースチャペルさんが栄町会館を日曜礼拝の場として一年間使用してくださったことにより、収入が大幅にアップしました!」と担当の方が言ってくださったのです。町内会の会館で一年間キリスト教の礼拝が行われたことに何の違和感もなく。なんとも不思議で、また嬉しかったです。

さて、総会の後は懇親会で、乾杯を皮切りに賑やかなひとときがありました。私たちは町会の方々と知り合い、打ち解け、商店会の現状や将来のことなど、色々お聞きすることが出来ました。さて、宴もたけなわ、司会の方(ゆーゆーロード商店会のお花屋さん)が、今年の盆踊りや夏祭りの担当の方々にマイクを振って、それぞれがスピーチをされ、今年も皆で栄町を盛り上げていこうと、とても良い雰囲気になりました。すると最後に司会者の方は、練馬教会のことを話し出しました。「栄町会館を使ってくださった練馬グレースチャペルさんは、この度、大変お洒落な教会が完成しました。皆さん、武蔵大学の前の教会ですよ。6月2日にはお披露目会があるそうです。それでは牧師の横田さん、一言お願いします」突然マイクを渡され面食らいましたが、私は改めて会館を使用させていただいたことへのお礼と、お披露目会のご案内をさせていただきました。持参したチラシもすべて配ることができました。司会者の方は「練馬グレースチャペルさんは栄町の一員なので皆さんよろしくお願いします」とも言ってくださいました。嬉しかったです。栄町の方々にも豊かに用いられる新会堂でありたいとつくづく思いました。

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No.187 5月26日

先月、息子の誕生日プレゼントに自転車を買ってあげました。もう変身ベルトではなく自転車が欲しいとい言ってきた息子に、お~、成長しているなと、私たち親はその要望に答えるべく、先ずはどこで自転車を買うか考えました。で、近頃の親がそのために向かうのがインターネットで、妻は、おもむろにGoogleに「江古田自転車屋」と入れると、瞬時に江古田の自転車屋情報が画面に羅列されます。次に注目するのは各自転車屋の口コミ評価、つまり、★の数です。店を利用した人は店に点数を入れ、仕事の質、接客態度、店の雰囲気など、自由に評価や感想を書き込む仕組みになっていて、それらを見ると、自転車を買うべき店がおのずと導き出されるわけです。

息子の誕生日の夕方、私たちは最も評価の高かった自転車屋に向かいました。途中、数件の自転車屋を通り越して着いた自転車屋は、立地条件は決して良いとは言えない、中規模の至って普通の自転車屋でした。青いツナギを着た店主が、油汚れの黒ずんだ手で忙しそうにお客さんに対応しています。私たちも店主にその旨相談し、息子は自転車を決めました。朴訥とした、しかし優しく誠実に対応してくれる店主さんでした。夜7時過ぎなのにお客さんがひっきりなしです。ある客は「8時過ぎに来ても大丈夫かな?」と言うと、店主は「大丈夫ですよ。うち遅くまでやっているので」と答えていました。サイトでは19:30閉店と載っていたのですが。その店主さんは失礼ながら宣伝上手には見えません。しかし周りの人が宣伝してくれるのです。ネットを介してそれは世界中に。ある方がネットの口コミ評価について「正直者が得をする時代になった」と言っていましたが、本当にその通りです。もし、教会の口コミ評価もあったら、NGCは★幾つになるでしょう?これまで、私たち教会は福音を宣べ伝えてきましたが、今や、福音に生きることこそが最も伝わる時代となったのです。正直者が得をする時代となりました。

 

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No.186 5月19日

先週の日曜日午後は「新会堂ワクワクミーティング<奉仕編>」が行われました。40名程の方々が集い、前半は、“聖務表”(改めて読むと凄いネーミング)に掲載されている、なくてはならない礼拝に関する奉仕について皆で分かち合い、後半は、私こんな奉仕ならできるかな、やりたいな、と各々の関心別にグループを作って分かち合いました。因みに、後半で作られたグループは、「こまめな掃除」「教会前外掃除」「花、緑化」「インテリア」「イベント」「コーヒー&食堂」「ホームページ」「子ども、高齢者」でした。さて、前半で私は「会場奉仕」(礼拝での案内係)グループに入ったのですが、その中で、現在奉仕されている方々の言葉に私はとても感心しました。会場奉仕をする中での恵みは何ですか?との質問に対して、ある方は「会場奉仕をとおして神との関係が深まりました。」と仰いました。なんとも含蓄ある言葉、もはや名言です。また、ある方は「会場奉仕が仕事に生かされています。」と仰いました。その方は某服飾メーカーの敏腕営業マン、まさに案内係のスペシャリストで、私は、仕事で磨かれてきたスキルが教会奉仕にも活用されていると思っていたのですが、実は逆だと言うのです。やはり、営利目的の会社とそうではない教会では動機の部分で全く違うそうです。教会では純粋な仕える心、気遣う心が必要であり、その心は主との関係によって育まれるものであり、主と一つとされながら礼拝に集う方々をご案内する、これが「会場奉仕」であり、そして、その経験と養いは普段の仕事に大いに役立っているとのことでした。なんと励まされる証でしょう。“教会奉仕は仕事に役立つ”ということです。そして、つまるところ、先程の「会場奉仕をとおして神との関係が深まりました。」との証が、奉仕の恵みの醍醐味なのですね。やはり、名言です。

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No.185 5月12日

「元気ハツラツ、オロナミンC」は皆さんご存知かと思います。では、あなたを元気ハツラツにしてくれるものは何でしょう?私にとってそれは早天祈祷会です。先週もつくづく思いました。物理的に早天に参加できない方々には申し訳ないのですが、早天の魅力を書きたいと思います。第一は早朝です。一日の中で最も静かで爽やかな時です。緊急でなく重要なことに当てるのに最適です。早天の後のあの充実感は言葉で表現できません。朝食も美味いです。早寝早起きに悪いことは一切ありません。早起きが辛いかもしれませんが慣れれば問題ナシ、私は5時には自然に目が覚めるようになりました。第二の早天の魅力は、複数人とのディボーションです。もちろん、一人静まり祈りみことばを味わうのも良いですが、一人だと段々ボーとしてきたり、違うことを考え出したり、集中力を保つのが難しいときが多々あります。複数だとそこから守られます。「共に」に励まされ、心が活性化され、みことばの「開かれかた」も一人のときと全然違います。また、みことばから語られたことを分かち合うのも良い刺激です。分かち合いにより、みことばをさらに深く、また違う視点で味わうことができます。第三の早天の魅力は、主は生きておられるということを実体験できることです。

「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。」(詩篇119:105)

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」(ヘブル4:12)

とありますが、まさに、アーメン(真実)です。主は私のことをよくご存知で、タイムリーなみことばを語りかけてくださいます。主は最も深いところで共にいてくださるお方です。私は早天により、その恵みを味わっています。さて、今朝も清々しい朝日です。現在5時30分、8階の我が家から見える朝焼けは格別です。そろそろ早天に行く支度をしたいと思います。

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