No.129 4月8日

今、個人的に企画しているイベントがあります。題して『ジャガイモを植えて、育てて、食べよう!』です。私の実家(埼玉県飯能市)の畑で、文字通り、皆で種芋を植えて、途中一回草取りや土盛りに行って、最後は収穫して、料理して、皆で新ジャガを食べるというイベントです。自分で言うのも何ですが、実家の畑、山里の名栗川沿いのいい所なんです。先ずは、フレンズ・キッズの子どもたちと親御さん中心で行いますが、将来的には江古田地域の子どもたちや親御さんも参加できるイベントになればと願っています。やはり、自分で植えて育てて収穫したジャガイモの味は格別です。もちろん食物の恵み、創造主なる神さまの恵みも格別に味わうことができるでしょう。スーパーのビニール袋から始まるのと、畑の芋植えから始まるのでは雲泥の差です。「木を見て森を見ず」という諺がありますが「森を見る」という視点や想像力は大事です。このイベントがそのような視点の養いの一助になればとも願っています。

早速、今週4/7(土)は種芋植えです。畝を切って、枯葉肥料を蒔き、種芋を植えて、今回は私の母のアイデアで、近くの原っぱでヨモギを摘んで草餅も作ります。楽しみです。次回のオプションは名栗川で釣りかな。そうそう、収穫の頃(6月末)は蛍の時期、皆に見せてあげたいな~幻想的な蛍の舞を。やがては狩猟の免許を取って、飯能の山のイノシシや鹿を獲って、さばいて、食べるということもやりたいです。NGCの食卓に新鮮な野菜やジビエが並ぶ日が来るかも!? と一人で夢を膨らませています。兎に角、先ずはやってみます。

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No.128 4月1日

今、日本の多くの教会は高齢化が進んでいます。なので、日本の社会と同じように教会にも「限界集落」ならぬ「限界教会」が起こっていくのでしょう。いや、既に起こっています。このような事態に直面すると、教会に若者が集うような対策が必要だとベクトルを向けがちです。しかし、そうなのでしょうか。主イエスは、

「出て行って~福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

と命じておられます。「集める」ではなく「出て行って」です。そして「福音」を宣べ伝えます。福音とはグッドニュースです。つまり「ああ、これはグッドニュースだ!」と思ったり感じたりするものです。言うまでもなく、こうすれば金持ちになるとか、運気が上がるとか、というものではありません。それは、真実に「人に良いもの」です。そして、その資源が聖書に、聖書のみことばに歩む私たちに与えられています。例えば、聖書の価値観で仕事をするということについて、結婚や夫婦関係や子育てについて、老いるということについて、他にも教育や政治や自然保護について、もちろん祈りや信仰について、等々、私たちクリスチャンは、それぞれの人生やキャリアの中で、「福音」を知的にも体験的にも受け取っています。そしてその福音は、私たちの隣人にも福音となるのです。

先週のスタッフミーティングで、4月の「クリーンデー(町内会の道路清掃)」で、参加者の皆さんにイースターのお祝いと感謝を込めて手作りクッキーをプレゼントしたら良いねとアイデアが上がりました。これも福音の一つになるでしょうか。「お金は目的でなく結果だ」とある社長さんが言っていましたが、教会も同じです。出て行って、福音を宣べ伝えていくとき、結果として教会に人は集まるのでしょう。「出ていく」とは「愛する」ということです。主イエスに倣い、出て行って、福音を宣べ伝えていきたいと思います。

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No.127 3月25日

今、日本の多くの教会は高齢化が進んでいます。なので、日本の社会と同じように教会にも「限界集落」ならぬ「限界教会」が起こっていくのでしょう。いや、既に起こっています。このような事態に直面すると、教会に若者が集うような対策が必要だとベクトルを向けがちです。しかし、そうなのでしょうか。主イエスは、

「出て行って~福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

と命じておられます。「集める」ではなく「出て行って」です。そして「福音」を宣べ伝
えます。福音とはグッドニュースです。つまり「ああ、これはグッドニュースだ!」と思ったり感じたりするものです。言うまでもなく、こうすれば金持ちになるとか、運気が上がるとか、というものではありません。それは、真実に「人に良いもの」です。そして、その資源が聖書に、聖書のみことばに歩む私たちに与えられています。例えば、聖書の価値観で仕事をするということについて、結婚や夫婦関係や子育てについて、老いるということについて、他にも教育や政治や自然保護について、もちろん祈りや信仰について等々、私たちクリスチャンは、それぞれの人生やキャリアの中で、「福音」を知的にも体験的にも受け取っています。そしてその福音は、私たちの隣人にも福音となるのです。

先週のスタッフミーティングで、4月の「クリーンデー(町内会の道路清掃)」で、参加者の皆さんにイースターのお祝いと感謝を込めて手作りクッキーをプレゼントしたら良いねとアイデアが上がりました。これも福音の一つになるでしょうか。「お金は目的でなく結果だ」とある社長さんが言っていましたが、教会も同じです。出て行って、福音を宣べ伝えていくとき、結果として教会に人は集まるのでしょう。「出ていく」とは「愛する」ということです。主イエスに倣い、出て行って、福音を宣べ伝えていき たいと思います。

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No.126 3月11日

最近、宣教(伝道)について考えています。主イエスは弟子たちに言われました。

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)

主イエスは「宣教しよう!」ではなく「宣教しなさい。」と命じました。言うまでもなく宣教とは主イエスの愛への応答であり、私たちの心から流れ出るものです。しかし、それは「感情」というよりも「意思」です。時が良くても悪くても、気分が乗っていても乗っていなくても、晴れの日も雨の日も、福音を宣べ伝えなさい、なのです。そうです、そのように主イエスは私を愛してくださいました。今もそのように愛し続けてくださっています。そして問われます。私はどうだろうか?愛する主イエスのように宣教しているだろうか?もし、私が感情を優先にしたらいつまでたっても宣教しないでしょう。したとしても、それはブーム的な宣教でしょう。感情とは独りよがりです。愛は意思です。意思は鍛えられる必要があります。私は意思が弱いです。だからこそ、今、改めて、私の主イエス・キリストの大宣教命令を真摯に聴いています。主イエスが私にどんなに大きなことをしてくださったかを思い出しながら、私をキリストの証人とする聖霊を仰ぎながら。今、立ち止まって、主イエスの大宣教命令にどう従っていくか、祈り、思い巡らし、考え、分かち合い、計画しています。NGCビジョン、いや、神のビジョン『砂漠に川を、オアシスを』「この川が入る所では、すべてのものが生きる」(エゼキエル47:9)の実現を祈り求め、考えています。意思とは選択でもあります。私はこの世界の回復のためにささげて生きる祭司となるのか?それとも自分のためだけに、この世界を消費して、自分中心に生きるのか? 今、改めて、この問いが私に迫っています。

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No.125 3月4日

聖書に「顔と顔を合わせて語りたいと思います。」(Ⅱヨハネ12)とありますが、メール全盛の今日にあっても、顔と顔を合わせて話すことはやはり大事です。先週木曜日、皆さんのお祈りに支えられて、新会堂の建築業者として「(株)中村弥工務店」と契約を結びました。江古田から徒歩20分程の所にある地元の建築会社です。契約に先立って、新会堂建築委員会の溝口兄、宮下兄、私は中村弥工務店を訪問し、社長の中村敏康さんと、顔と顔を合わせてお話させていただきました。そしてその面談が、業者最終決定の決め手となったわけです。言うまでもなく、そこには事務的なやり取りだけでなく、顔と顔を合わせてお話することにより、両者の間に温かい思い、いや、熱い心が通い合ったのです。 先週の日曜日からは栄町会館での礼拝が始まりました。前日、妻と私で近隣のお宅へ挨拶に回りました。インターホンを鳴らしその旨をお伝えします。最初は訝しいお顔をされますが、やはり顔と顔を合わせる内に、皆さん、最後は笑顔で好意的に了承してくださいました。ある方は、毎月の「クリーンデー(町会の道路清掃)」に教会の人が参加していることを覚えていてくださり、「こちらこそ感謝しなければなりません。」と言ってくださいました。これも顔と顔を合わせて来た一つの実でありましょう。私たちは約一年間、栄町会館を使用させていただきます。これまで以上に栄町の方々と顔と顔を合わす機会が与えられました。地域に仕える教会として、これは願ってもないことです。この機会を用いたいと思います。毎月第三日曜9:00からの「クリーンデー(栄町道路清掃)」にもご参加ください。私は、これをきっかけ に、栄町の方々向けの教会新聞を発行してみようかなと考えている今日この頃です。

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No.124 2月25日

先週私はとても興味深い動画を観ました。私たちの家庭、教会の中で、最も大切な家具とは何だろう?そんなことを考えさせられる動画でした。ある年配の神学者がこう述べていました。「福音書に記されている「エマオの途上」、イエスが十字架で死に、戸惑い、悲しむ二人の弟子がエマオ村にある家へと戻る途上、復活のイエスが彼らの旅に加わりました。イエスは彼らに十字架の意味を説明しましたが、彼らは混乱していました。やがて家に着き、彼らは旅人のイエスを家に招き、食事をもてなしました。旅から戻ったばかりなので、おそらく残り物のような普通の食事だったでしょう。イエスは食卓に着かれると感謝をささげパンを裂きます。すると二人の弟子たちは、この旅人がイエス・キリストだとわかるのです。この話の重要な点は、二人の弟子が見知らぬ旅人をもてなし分かち合った「普通の食事」が、「聖なる食事」になったということです。私たちの家庭の日常の食事と他者へのもてなしは、「聖餐」へと繋がることを私たちは覚える必要があります。」私は礼拝と食事を分けて見ていました。しかし食物を食するということは、私たちの食物となってくれた野菜や家畜、それを育ててくれた生産者、食卓まで届けてくれた流通業者、そして美味しく料理してくれた家族、何よりも、それらのすべてを祝福された神の恵み、賜物なのです。食事とは、その恵みと賜物を味わう時であり、それらを分かち合う食卓の交わりは豊かな愛の現れです。主イエスは最後の晩餐(食事)の中で聖餐式をされました。私たちは主イエスのからだと血を食します。普通のパンと葡萄酒が神の賜物、恵み、犠牲となって私たちに与えられます。その聖餐に与る私たちは、今度は、主イエスのように他者に自分自身をささげる者へと招かれているのです。さて、私たちの家庭、教会の中で、最も大切な家具とは何でしょう?それは「テーブル」だと教えられました。

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No.123 2月18日

現会堂での礼拝は今日で最後となりました。いよいよ取り壊しが始まります。この時を迎えて皆さんはどのような心境でしょうか。この螺旋階段、この礼拝堂、この中三階、この三階玄関、etc もう見られなくなるのです。そう思うと、じんわり寂しくなりますね。皆さんもそれぞれにこの会堂の思い出の風景があることでしょう。そうそう、皆さん知っていますか?教会の裏にヤモリが住んでいたことを(今もいるかな?)。一階に泊まった時、窓にへばりついて私たちの交わりを聴いているヤモリをよく見たものです。三階には「至聖所」と呼ばれる部屋があるのはご存知ですか?屋上に上がったことありますか?てっぺんにある十字架が間近で見られますよ。この際、最後に会堂をくまなく見て周るのもよいでしょう。

この会堂は築46年です。因みに私も46歳です。創建当時の写真を見ると、まだ周りには高い建物はなく、モダンな鉄筋コンクリート造の白亜の会堂は目を見張るものでした。それも今や円熟の風貌です。46年間、この会堂で沢山の物語が紡がれて来ました。中島みゆきさんのあの名曲『糸』に、「♪~縦の糸はあなた、横の糸は私、織りな布は、いつか誰かを温めうるかもしれない~♪」とありますが、まさにこの会堂は「縦」の神との関係と、「横」の人との関係がクロスする場として、そこで織りなされた布によって私たちは温められてきました。この会堂には、私たちの賛美、祈り、喜び、涙、告白、決心、感謝が染み込んでいます。この会堂を用いて神さまは私たちに豊かに臨まれ、栄光を現してくださいました。主の御名をほめたたえます。そして、これから私たちは新会堂に向かいます。すべての引越し作業が完了したら、一人会堂で感謝の祈りをささげたいと思います。

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No.122 2月11日

 先週からディボーション誌『manna』はヨブ記に入りました。ヨブは子どもと財
産が繁栄し、家族関係は良好、潔白で神を恐れる人でした。ある時、そんなヨブを
観察していたサタンが神に告発します。「ヨブが神を恐れるのは神から受けている繁
栄が動機であり目的です。彼のすべての持ち物を打ってください。彼はきっと、あな
たに向かってのろうに違いありません。」すると神は答えます。「では、彼のすべて
の持ち物をおまえに任せよう。ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。」ヨブにとっ
ては甚だ迷惑な展開ですが、しかしこの神のことばを言い換えるなら「ヨブのすべて
が取り除かれたとしても、わたしと彼との関係は挫かれない。」ということです。な
んというヨブへの信頼でしょう。それまでの神とヨブとの関係を彷彿させます。そし
て長いヨブ記を読み終えると、この神のことばは真実であることがわかります。挫か
れるどころか、より一層一つとされてヨブ記は終わります。ヨブ記とは、サタンの介
入によりヨブの繁栄が突然取り除かれ、長い苦難と苦悶の末に、神はヨブに以前の二
倍の繁栄を与えて終わる物語です。しかしその中心は、ヨブが苦難の中で神に向かい
続け、神に問い続けることによって、神との関係は深められヨブは神の栄光で輝い
ていくという物語なのです。興味深いのは、サタンは神の許しを得てからヨブに介入
しているところです。私たちも苦難に会います。しかしそれは神が許されたこと。私
たちは苦難の中で、苦難の中におられる十字架の主イエスと出会い、苦難をとおして
一つとされ、そして復活の主イエスの栄光を反映する者とされていくのです。それら
のことを心に置いて、これからヨブ記を読み進めていこうと思います。

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No.121 2月4日

毎週火曜午前は教会スタッフミーティングを行っています。で、今、その最初の30分
は皆で『ケープタウン決意表明(コミットメント)』を学んでいます。これは2010年に南アフリカのケープタウンで開催された「第3回ローザンヌ世界宣教会議」で表明されたもので、今の時代のキリスト教会のロードマップとなる内容で、毎回有意義な学びをしています。で、先週の学びのテーマは被造物(自然)保護と回復でした。
「私たちが神の被造物(自然)を愛するのは、神に対する私たちの愛から当然生まれてくる行動である」と述べています。私は「当然生まれてくる行動」という言葉に心が留まりました。確かに神の被造物を愛するのは当然なことです。しかし、それなのになぜここまで地球資源の破壊と汚染は深刻化し、そこに私たちクリスチャンも直接、間接的に関与してしまっているのでしょう。悲しいかな、私たちは「当然」のことができないのです。なので、そのような私たちにとって大事なのは、自らの過ちを知ったなら謙虚に悔い改めていく心の姿勢なのでしょう。

「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。」(ローマ2:4)

神の被造物を愛するとはどうしていくことなのか、改めて洞察し、祈りつつ努めていきたいと教えられました。
<追伸> 前回書きました、百寿会(町会の敬老会)の役員をされているご婦人の方が、新会堂建築中の日曜日は教会が栄町会館を十分に使用できるよう、百寿会の定例の誕生会を日曜から土曜に変えることを役員会に提案すると仰ってくださった件、先日、無事役員会で承認されとのご連絡が来ました。本当に感謝です。近々お礼に伺いたいと思います。ハレルヤ

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No.120 1月28日

先週の日曜日午後は、新会堂建築中の仮会堂となる栄町会館の下見に新会堂建築委員はじめリーダーたちと行きました。皆で椅子を並べてプロジェクターやマイクもセットして礼拝の配置を検討し、そして礼拝と同じように皆で賛美をして、数人は外で騒音のチェックをしました。また2階では子どもとユースの各クラスの場所を決めました。なんとか大丈夫そうでホッとしました。というよりも「想像していたよりも綺麗だね!」とか「楽しみだね!」という声が聞こえてきて、下見をしている皆さんが楽しそうでした。

また、こんな嬉しいこともありました。その日の朝、私はクリーンデー(町会の道路清掃)に参加したのですが、百寿会(敬老会)のお世話係をされているご婦人が私に相談をして来られました。百寿会では数ヵ月に一度の日曜日に栄町会館で誕生会を催していて、教会の礼拝とバッティングするのです。私は、もちろん町会行事が優先で、その日曜日は誕生会を行ってください、私たちが移りますので、とお伝えました。そして数日後、日程の確認のためにその方に電話をしました。するとこう言われるのです。「その後色々考えて、教会さんも栄町の一員だし、また新会堂建築という特別な状況なのだから、誕生会は土曜日に変更しようと役員会に提案します」と。驚きました。どうぞご無理をなさらないでくださいとお伝えしましたが、しかし教会のことをこのように配慮してくださっているそのお心に感動しました。特に「教会さんも栄町の一員だし、」とのことばは嬉しかったです。仮会堂での一年は「荒野」と思われる方もいるかもしれません。しかし主は

「確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。」(イザヤ43:19)

と言われています。危機は機会です。栄町の方々とも、より近くなれます。不自由もあるでしょう。だから助け合いましょう。それは新会堂完成後の良き思い出、原動力となります。

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