2022年9月25日 中東短期宣教旅行記③

中東短期宣教旅行記③

(1)家庭訪問 私が最初に家庭訪問をしたのは7人の子どものいる家庭でした。この家庭は古い戸建てに住んでおり、子どもたちと長縄跳びができるほど丈夫で広いリビングでした。お父さんはニューシティーではエンジニアでしたが、ここでは肉屋で鶏肉をさばいています。子どもたちはNGOが運営する学校に通い、13歳の息子は朝8時から夜8時までスーパーで働いていました。15歳の長男はドイツに移住していました。これは両親の意向で、今住むこの国の経済状況は悪化の一途、当初は歓迎された難民も端に追いやられ、将来に希望が持てなくなりました。よって難民を受け入れるドイツに長男を先に移住させ、将来家族で移住する計画です。印象に残ったのは長男がドイツに向かった行程です。ブローカーの手によって北アフリカ(チュニジアと言っていたと思う)から地中海を難民船でイタリアに渡り、陸路ドイツに向かいました。このことは日本でも大きく報道されていたので驚きました。難民船の航海は命がけです。 次に訪れた家庭は6か月の赤ちゃんはじめ6人の子どもがいましたが、子どもたちの誕生日は親も不明で、これまで誕生日を祝ったことがないそうです。なので、私たちは大きなケーキを用意し、子どもたち全員の誕生Partyをしました。とても喜んでくれました。ケーキを食べた後、お父さんはあんちゃんと私を畑に連れ出し一枚のスマホの写真を見せました。彼の父親で足は糖尿病で腫れていました。動けないのでニューシティーに残っており、しかし治療費が捻出できず、このままだと足を切断しなければならない。彼は自らの臓器を売ることを考えていました。臓器売買のことは報道で知っていたので驚きました。彼は日本に支援してくれる団体があったら伝えて欲しいと言い、そのことを宣教師のリーダーに伝え、ニューシティーの病院と伝手があるので連絡してくれることになりました。彼は「私は子どもたちを育てているが私も父に育ててもらった、だから父を助けたい」と言っていました。                             つづく

 

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年9月18日 中東短期宣教旅行記②

中東短期宣教旅行記②

私にとって最も「百聞は一見に如かず」だったのが宣教です。中東宣教は難しくて危険だとだれもが思うでしょう。もちろん、私たちが接したのはニューシティーの難民の方々なので総論とは言えませんが、ただ、確かに彼らは日本人よりもオープンでした。私たちは普通にイエスの名を語ることができたし、イエスの御名で癒しの祈りをすることもできました。キリスト教とイスラム教は共通点があるので、聖書や信仰についても語り合うこともでき、福音を伝える機会もありました。彼らはよく耳を傾けてくれました。

さて、他にも興味深かったのはコロナです。現地はノーマスク、もうコロナ禍は終わっていました。ほとんどの人がマスクをしている日本とは別世界で、複雑な思いになりました。情報溢れる日本、しかしそれが大きな「縛り」になっていることも実感しました。前記した、道路に信号機、横断歩道、センターラインがない交通事情も、それでも事故は多発しないのです。ルールが少ない分それぞれ自分で気をつけるからでしょう。色々考えさせられます。日本を離れて異文化の地から日本を見つめる、これも「百聞は一見に如かず」の恵みでした。

~2.救いを必要とする人々にキリストのからだはとどいている~
私たちを迎えてくれたニューシティー宣教チームは、ニューシティーからの難民の人々に宣教しています。救いを必要とする彼らにとって宣教師たちは「福音」でした。チームメンバーは香港人3人、ブラジル人2人、そして日本人1人、さらに香港人の中東宣教コーディネーター、計7名(内、男性2人)の国際チーム、いや、神の国チームです。私たちはチームがこれまで関係を築いてきたニューシティーの人々の家庭を訪問し、チームのアラビア語の先生たち(ニューシティーの方々)と交流し、他の団体の宣教師が経営するニューシティーの子どもたち対象の学校で、英語クラスを担当させていただきました。(1)家庭訪問。私が最初に家庭訪問をしたのは7人の子どものいる家庭でした。                                                      つづく

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年9月11日 中東短期宣教旅行記①

中東短期宣教旅行記①

8月9日~20日、私は、北谷緑さん(香川県/津田キリスト教会)、小手川知行さん(岩手県/OLD)、エディさん(同OLD宣教師)と共に中東短期宣教に参加しました。そこでのかけがえのない恵を記します。*「ニューシティー」とは宣教チームが目指している国のこと。現在チームはその国からの難民の人々に仕えている。1.百聞は一見に如かず。アブダビ経由13時間のフライトを終え、私たちは現地の空港に到着しました。あんちゃん(NGCから遣わされている宣教師)はじめニューシティーチーム3人が迎えに来てくれていて、早速バンに乗り込み宣教地に向かいました。かつてこの国はフランスの統治下にあり、首都は「中東のパリ」と呼ばれていたそうですが、街は雑然、賑やか、茶褐色に覆われています。行き交う車もポンコツ車から高級車まで一様に砂ぼこりをかぶり、信号はなく、道路の中央ラインは意味をなさず、まるで池袋の雑踏を人を避けながら歩くように車が走り抜けていきます。道路脇には途切れなくゴミが散乱しています。造りかけのビルも目につきました。過去の隣国との戦争で破壊されたまま放置されたそうです。

遠く離れた異文化の地に来ました。しかし人々からは生命力を感じます。市街地を抜けるとそこには聖書の舞台を彷彿させる荒野が広がっていました。私は今回の旅ほど「百聞は一見に如かず」を実感したことはありません。報道での中東はどんなにか一面的であるか。先ずは暑さ、正直、東京の夏の方が過酷です。人々はとてもフレンドリーでした。私たちが通りを歩いていると「どこから来たの?」と気さくに声をかけてきて、「ようこそ」と笑顔で立ち去っていきます。難民テント村を訪れたときも、沢山の子どもたちから「僕の家に寄っていってよ」と誘われ、大人たちからも「我が家でコーヒー飲んでいって」と招かれました。人生、あんなに歓迎されたことはありません。もし日本で人間関係に疲れた人がこの地に来たら、きっと癒され、励まされるのではないかと思いました。
つづく

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年9月4日

先日、清々しくなる「選択」をすることができました。教会の隣はディスカウントショップです。しかし最近倉庫になったようで、教会の前に頻繁にトラックが停まり荷物の出し入れをするようになり、時には解体作業をしています。ちょっと騒々しくなりました。そればかりか道路に部品クズが散らかるようになりました。釘のようなものも落ちており車が踏んだらパンクします。さすがに私は作業をしている金髪の若い従業員にきちっと片付けるよう注意しました。その後はしばらく綺麗でした。しかし、先日早天祈祷会の前に教会前を掃いていると、また部品クズが散らかっているではありませんか。前回注意したことが伝わっていない!!こうなったら強く注意しなければ。その日の午前中、牧師室で仕事をしているといつもののトラックが来て、いつもの若い従業員がタンスの解体を始めました。私は、よっしゃ、ガツンと言ってやろうと立ち上がりました。しかし、ふと、「待てよ、ここで私は彼にどのような態度を取るのか?どのような言葉をかける?ここでの私の選択は重要だ」と立ち止まりました。私の選択は、彼に部品クズの片付けを徹底してもらうだけでなく、キリストを証する機会ともなります。私は腰を椅子に下ろして思い巡らしました。そして決めました。

冷蔵庫に冷やしてあるペットボトルのお茶を取り出し、若い従業員のもとに行きました。彼は炎天下の中、汗びっしょりで作業をしていましたが、「お疲れ様です。暑い中いつも大変だね。この作業はいつまで続くの?」と話しかけると、彼はおどおどしながら答えます。すかさず私は「いつも教会の二階から作業を見ていて大変だなと思って、これ飲んで頑張って下さい」と冷たいお茶を差し出しました。すると彼の顔がパッと明るくなり、「いいんですか。ありがとうございます。」と喜んで受け取ってくれました。そして部品クズのことを伝えました。その後は綺麗に片付いています。彼と挨拶を交わすようにもなりました。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年8月28日

使徒6章、教会内の食事のことで苦情が上がり、使徒たちだけでは対処できず、教会の運営面で奉仕する七人を選出しました。その選出基準に改めて注目します。「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」(3)。普通は「その仕事の能力と経験に満ちた、評判の良い人たち」です。さて、選出された七人(現在でいう教会役員)の一人ステパノは「食卓のこと」(教会内)にとどまらず、社会の人々の間でも「大いなる不思議としるし」を行っていました。つまり主を証する仕事ぶりだったということです。すると、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々が立ち上がり、ステパノと議論をします(9節)。「会堂に属する人々」という表現が引っかかります。えてして議論や対抗は「私は~に属している」という意識から起こります。しかしステパノは「御霊と知恵に属して」いました。彼が語るときの知恵と御霊にだれも対抗できません。すると対抗者たちは常軌を逸します。彼らは人々をそそのかしてステパノを陥れるための偽情報を発信させ、最高法院に訴えて偽りの証人を立たせ、「この人は、この聖なる所と律法に逆らうことばを語るのをやめません。」と偽証させました。この不条理な圧倒的な圧力の前にステパノは言葉を発することができなくなりました。しかしどうでしょう。「最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。」(15)。ステパノはここでも「御霊と知恵に満ちた」人でした。教会の食卓に仕える時も、社会の中で働く時も、不条理な攻撃にさらされる時も、御霊と知恵に満ちている。私たちもかくありたいです。では、御霊と知恵に満ちるにはどうしたらよいのでしょう? 使徒たちは「私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。」(4)と言いました。これは使徒たちの「役割」に関することですが、「姿勢」はみな同じです。私たちは「祈りとみことばに専念する」ここから、私たちの内に御霊と知恵は満ちていくのです。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年8月21日

朝、私がベランダ菜園の作業にいそしんでいると、妻と息子が「くさい」と言ってきます。私が丹精込めて作っている発酵肥料をくさいと言うのです。確かに匂います。しかしそれは、マックのピクルスの匂いではないですか。今、私は野菜クズ、卵の殻、珈琲カスが愛おしくてたまりません。他にも、摘み取った野菜の芽や葉、何なら道端の落葉でさえ、「これはいい発酵肥料になるぞ」と思ってしまいます。カスが「肥し」になるのだから、なんて魅力的ではないですか!その作業も楽しいのです。ぬか漬けを作るのと変わりません。野菜クズを入れては、微生物を豊富に含んだ『生ごみ処理材』(糠とほぼ同じ)をまぶし、手でかき混ぜます。だんだん発酵してくると、プーンとピクルスの香り、そのままつまんで食べたいくらいです。またそれらから出る残留液もフルーティーで、水で500倍ほどに薄めて植物に散布すると液肥になります。排水口に注ぐと消臭剤になります。微生物群が雑菌を食べてくれますから。もう、パーフェクトです。私が愛おしいと言うのを皆さんわかりますよね。それを妻と息子はくさいと言うのです。しかし、冷静に考えると確かにくさいです。ご近所の迷惑にならぬよう気をつけなければなりません。しかしなぜ私は「いい匂い」なのか? それは私が手間ひまかけて作っているからです。身近であり、愛おしいからです。だから「くさい」ではなく「いい匂い」なのです。匂いってけっこう影響力がありますよね。カレーも鼻をつまんで食べたら何がなんだかわかりませんから。実は、体臭も相手との相性をするうえで重要な役割を果たしているといわれています。

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」(Ⅱコリント2:15)。

私は妻と息子に香ばしいキリストの香りを放つ者でありたいです。そう願いながら、今日もベランダ野菜作りにいそしんでいます。

カテゴリー: 未分類 | コメントをどうぞ

2022年8月14日

使徒15章、パウロたちによって異邦人宣教が進むとある人々がユダヤから下って来て「モーセの慣習にしたがって割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1)と教え、パウロとバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じました。宣教が進むと衝突も起こります。これまでの神学や伝統や習慣と、新しい時代に新しく起きていること、そして更新された神学との間で。ひと昔前の日本の教会では、讃美歌とワーシップソングの対立と論争がありました。今後はLGBTについての論争がより現実的になるのではないでしょうか。

さて、割礼論争の解決のために対立する両者が相まみえエルサレムで会議が行われました(4-21)。先ず、この問題を「主イエスの恵みによる救い」という共通の神の視点で見つめ、次に、異邦人宣教で神がなされた実際の証を聞き、最後に、この問題を聖書から検証しました。結果、躓きを与えないための幾つかの注意点を補足したうえで、「異邦人に割礼を求める必要はない」という結論に至りました(22-29)。この解決方法は私たちの指針です。宣教が進むと衝突も起こりますが、宣教の新しい扉も開いったことも「使徒の働き」と「キリスト教史」から教えられることです。16,17世紀のカトリックとプロテスタントの宗教戦争は最たる一例です。

そのような中、『もしイエス様が市長だったら』(著者ボブ・モフィット)の中の一文が心に響きました。えてして私たちは過去の教会や宣教師たちの「欠けていた点」を上から目線で見つめて批判します。しかしボブ師は言います。「次世代の主のしもべたちが、現在私たちのしていることを振り返った時、同じように彼らも、「今はまだ私たちには隠されている事柄」が欠落しているのに気が付くでしょう。私は、犠牲を厭わず全世界に出て行き、数えきれのほどの地域において神の救いの恵みを宣べ伝えた、前世代の主のしもべの方々に感謝しています。」(7章:教会と今日の世界/P160)。本当にその通りです。

カテゴリー: ボクシ・ボイス | コメントをどうぞ

2022年8月7日

世界的に注目されているデジタルアート集団「チームラボ」の猪子寿之(いのことしゆき)氏のインタビュー番組を観ました。猪子さんの祖母はクリスチャンで、母親は真言宗で、幼少の頃から「人は違う」ということを体感する環境で育ったとのこと。祖母は熱心な福音派の教会の信者で、子どもの頃は祖母に連れられて教会学校に通い、ある時、地球は1万年前に誕生したと教えられたそうです。しかし学校の授業では地球は46億年前に誕生したと習い、そのことを祖母に伝えると、「それはサタンの働きだ」と祖母から言われたそうで、猪子さんは苦笑しながら話していました。私も、あちゃ~と思いました。それは原理主義福音派教会「あるある」です。

時に信仰は断定的、排他的になり、その中にいると周りが見えなくなり、その他のものをサタン呼ばわりしたりします。しかしその弱さは「信者」だけに限りません。痛ましい安倍元首相の銃撃事件がありましたが、容疑者の動機は「家を破産させた宗教団体と安倍元首相がつながっていると思い込んで」と報じました。その真相はわかりませんが、はっきりわかることは、容疑者本人も一つの情報を妄信する「信者」であったということです。今はネット情報溢れる社会、人は一つの情報を断定的に思い込むという弱さがあります。そうなるともう周りは見えず、周りを批判的に見ます。地球誕生1万年説は「創造科学」という天地創造の解釈の一つです。私もそれらの書籍を興味深く読みましたが、しかし地球は46年前に誕生したという科学的見地に立つ聖書解釈もあります。聖書は

「はじめに神が天と地を創造された」(創世記1:1)

と明確に告げますが、そのプロセスを科学的に示す目的では記されていません。それなのになぜ一つの解釈を断定するのでしょう。先々回ここに挙げた内村鑑三の言葉、「真理は円形にあらず、楕円形である」は大事です。一点軸の同心円ではなく、相反する二点軸を許容する「楕円形」に生きましょう。

カテゴリー: ボクシ・ボイス | コメントをどうぞ

2022年7月31日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する最終回。~人生の目的は品性を完成するにあり~ ある日のがん哲学外来で、会社に勤めている患者さんが職場での悩みを打ち明けました。「辛い治療を終えて薬も効いているから、職場に復帰しました。ところが、私が中心になって進めていた企画はいつのまにかに同僚に任されていました。裏切られた思いです。ちょっと休んだだけなのに、それががんだったからって…。自分が会社からも人生からも用無しになった気がしてショックでした。」井戸の水をくみ上げるかのように、涙が止まらない様子です。私は言いました。「がんになる前の自分が最高だなんて、誰が決めたんですか? 今の仕事が好きなら続けられたらいいじゃないですか。自分で決める人生は、病気とは関係ありませんよ。」 そしてこの言葉を送りました。「人生の目的は品性を完成するにあり」 品性とは、人格であり、人としての品位です。人生の目的は、仕事の成功や世間の賞賛、ましてや、お金持ちになることではありません。今、自分の目の前にあることに一生懸命取り組み、自分の行いによって人が喜んでくれることによって、初めて品性は磨かれていくものです。

後日、この患者さんからメールをいただきました。「上司に自分が休んでいた間、迷惑をかけたことを素直に詫び、仕事をフォローしてくれたことに感謝しました。今の自分のできることは仕事の補佐をすることだと伝えました。すると、『君がいないとうまく進まないことが多かったから、戻って来てくれてうれしい』と言ってくれたのです。これから、人生の目標とする品性の完成に向けて謙虚に生きていきます。」 困難、苦難はがんに限らず誰にでも襲いかかるものです。そのとき、いかに耐えるか、そして「人のためになる」ことにいかに気持ちを向けられるか、耐えることで品性が生まれ、品性を磨くことによって希望が生まれます。

カテゴリー: ボクシ・ボイス | コメントをどうぞ

2022年7月24日

『いい覚悟で生きる-がん哲学外来から広がる言葉の処方箋-』(著:樋野興夫)から、幾つかの文章(一部抜粋、編集)をご紹介する第四回。~楕円形のようにバランスよく生きる~ 「真理は円形にあらず、楕円形である」と言ったのは内村鑑三です。同心円とは、なんでも丸く包み込むようでいて、実はとても排他的な形です。同心円の社会や組織は価値観や思想が均一的なため、異質のもの、相反するものを内包できません。異物がないのですからスムーズに運びそうですが、いったん異質なものが侵入すると、免疫がないわけですからパニックを起こし、結果的に自浄作用が働かなくなり、組織は滅びてしまいます。それに対して、定点をふたつ持つ楕円形は、健全な生体システムとして機能します。生物の体には、対極的な働きをするものが同居しています。たとえば、自律神経には互いに反対の作用をする「交感神経」と「副交感神経」があり、一方は活動を活発にし、一方では活動を抑えます。同様に、細胞内には「がん遺伝子」と「がん抑制遺伝子」があって、通常はバランスを取って、がん化を抑えています。

病気を患ったときやトラブルを抱えたとき、同心円的な考えの人は、悩みそのものよりも「異物のある自分」を受け入れられないことに苦しむようです。「体が悪いばかりか、なんの役にも立てず、自分はしょうもない人間だ」と言って、自分を追い込んでいきます。ですから、私は患者さんに言うのです。「完璧でなくていいんですよ。楕円形のように少々いびつでいいんです。それどころか、ところどころほころびがあってもいいんです。」 楕円形とは共存の精神です。病気やトラブルがない人生はまれでしょう。ならば、病気も込みで人生、いいことも悪いこと込みで人生と考えてみる。まさに楕円形の2点バランスです。不幸があるから対極的な幸せに気づくことだってあります。自信を失うことで謙虚さを得ることだってあります。それは、人としての品性と包容力が高まることではないでしょうか。」

 

カテゴリー: ボクシ・ボイス | コメントをどうぞ