No.107 10月29日

先週10/21(土)22(日)は「グレースネットキャンプin南三陸」でした。西仙台、新潟、清瀬、練馬、船堀、大阪と各教会から集まり、西仙台の中澤先生が音頭を取ってくださって、東日本大震災からの復興状況を見学し、商店街で名産を買い物し、語り部さんから当時のことをお聞きし、そして東北キリシタンの史跡を廻りました。とても有意義で感銘を受ける二日間でした。そのうちの一つの「感銘を受けたこと」を記したいと思います。

土曜日、南三陸町の「ホテル観洋」での夕食の時、中澤先生は、三浦美香さんという方を私たちに紹介してくださいました。三浦さんは、あの日、従業員として働くホテル観洋で被災されました。そこからの“戦い”を切々と話してくださいました。三浦さんは復興のプロセスの中で中澤先生と出会いました。そして昨年5月に洗礼を受けられました。三浦さんは言いました。「私は、それまで宗教とは通過儀礼(冠婚葬祭)としか見ていませんでした。しかし中澤先生と出会って、宗教は心の支えであることがわかりました。また、中澤先生ご家族が被災者の方々に仕えておらえる姿をとおして、私もこのようになりたいと思いました。そして、その神さま、主イエスを信じ、洗礼を受けたいと中澤先生に申し出たのです。」
このお証を聞き、一つのみことばが浮かびました。

「こういうわけですから、あなたがたはあらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には(神の)愛を加えなさい。これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。」(Ⅱペテロ1:5-8)

これに続く、

「これらを備えていない者は、近視眼であり、」(9)

も心に留まります。今回の旅をとおして、伝道、宣教とは何か、改めて教えられて感謝でした。

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No.105 10月8日

「霊修会」が終わりました。参加された皆さんは如何だったでしょうか。今回は「コロサイ書」をじっくり読み進めました。私は、使徒パウロが述べる「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、~」(1:6)の「理解」が感動をもって深められました。さらに「コロサイ書」を学んできたいと今思っています。
興味深かったのは、今回の霊修会のテーマが『今、迫りくる危機に備えて』でしたが、何が危機かというと、パウロは、教会が問題の中で「キリストをかしら」としなくなっていることが「危機」だと教えていることでした。実は問題は問題ではなく、問題の中で、私たちは何を聞いているのか?どこに目を注いでいるのか?これが私たちの問題なのです。よって今回の霊修会の焦点は、「キリストがかしら」「キリストをかしらとしていく」ことでした。また、「キリストをかしらとしていく」ということも改めて教えられました。私たちは、気がつくと自分が「かしら」となっています。先行するのはいつも自分で、そこに神の助けを求めていくという祈り…、しかし、みことばをじっくり読み進めていくと、先行が「自分」から「キリスト」へとリセットされ、祈りが「みことばを祈っていく」へ変えられていくのです。つまり「自分の願い」から「キリストの願い」へ、これこそ「キリストをかしらとしていく」ことです。また、コロサイ書では、「私」「あなた」でなく、常に「私たち」「あなたがた」と記されていることも心に迫りました。そうです。私たちは「キリストのからだ」であり、もう私は「私」でなく、「私たち」なのです。私は一人では不完全ですが、キリストのからだ(共同体)によって完全なのです。今回の霊修会は、共同体でみことばを読み進めていく恵みと健全さも改めて教えられました。以上の一つひとつは、今後の霊修会でも大切な柱となることでしょう。ハレルヤ。

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No.108 11月5日

今、キリスト教界では、「福音を捉え直す」という動きが、世界的な流れとしてあります。昨年神戸で行われた「日本伝道会議」のテーマも「Re-VISON(ビジョンを新たにする)」で、「福音とは何か?」が主題講演で語られました。「福音を捉え直す」とは、今日まで積み上げられてきた聖書学研究の成果でありますが、同時に、「ポストモダン(近代の後の時代)」に代表されるところの「変化」を世界中が実感している、また、地球温暖化など、これまでなかった問題に世界中が直面しているという要因も大きくあります。例えば、2011.3.11の東日本大震災は、特に東北の教会にとって、福音理解に大きな変化とチャレンジが与えられる出来事でした。

あなたは「福音とは何か?」と問われたら何と答えますか?「栄光の教会とは何か?」と問われたら何と答えますか?コロサイ1章6節で、使徒パウロは以下のように述べています。「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。」私たちの群れ(聖協団)はリバイバルを求め、そのための「熱心な祈り」に重点が置かれてきました。しかし聖書は、それと同時に、「神の恵みを本当に理解する」ことを重視しています。リバイバルとは、私たちの福音理解と切っても切れない関係にあるのです。これが、今、私に、迫っていることです。特に「霊修会」以来。「私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして追及しているのです。」(ピリピ3:12)とのパウロ先生に倣い、私も「福音とは何か?」「教会とは何か?」の学びを止めないように、思考停止に陥らないように。

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No.106 10月22日

先週、「今井能舞台」の起工式が執り行われました。そしてふと思ったのですが、室町時代から続く日本を代表する伝統芸能である「能」の舞台の起工式がキリスト教式で執り行われるという、これは凄いことです。それは一重に、NGCメンバーである今井泰之兄と基兄が、キリスト者能楽師であるからに他ありません。そのことに厳かな感動を覚えつつ視野を広げて見ると、教会とは、なんとも多種多様な仕事や立場や世代や人種の人々が集められているものです。こんなコミュニティーは他にありません。そして、そのことを聖書の価値観で見るなら、私たちは、それぞれの場所に神か
ら遣わされている一人ひとりなのです。

先日の「霊修会」でコロサイ書をとおして、私は、やはり厳かな感動を覚えたのですが、キリストは「教会のかしら」のみならず、「万物の支配と権威のかしら」なのです。そして、今もキリストは、その実現(回復)に向かって先行し、キリストのからだをとおして働かれているとコロサイ書は教えます。あなたが遣わされているところ、職場や家庭、学校、地域、等々の支配と権威のかしらがキリストとなっていくのです。そのことを使徒パウロは「キリストの平和」と表します。ヘブル語では「シャローム」です。これは夢物語、単なる理想論でしょうか。確かに私には無理な話です。しかしコロサイ書は「御子(キリスト)によって、」「そのからだをとおして、」と教えます。よって私たちは、内に働くキリストに身と心を委ね、キリストのからだと協力したいと思います。「キリストの平和(シャローム)」を純粋に「望み」として。「望み」は私たちの行動を変えます。

「今井能舞台」の起工式、建主の泰之兄と基兄、そして泰之兄の妻、栄絵姉は、「今井能舞台」の礎は、「主なる神」であるとの信仰の表明として、聖書を土地に安置しました。完成が楽しみです。

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No.104 10月8日

「この川が入る所では、すべてのものが生きる」(エゼキエル47:9)これは旧約聖書のみことばですが、新約の時代、つまり「終わりの時代」に対する主なる神のビジョンです。私たちNGCは、この主のビジョンを私たちのビジョンとして今歩んでいます。「この川」とは罪と死の力を打ち破られたイエス・キリストの十字架と復活から流れ出る助け主、聖霊です。そして聖霊によって歩む私たち教会であり、あなたのことです。私たちはこの主のみことばに信頼し希望を置きます。では、どうしたら「いのちの川」は流れ出るのでしょう。私は、聖書から、またこれまでの経験から、

①主との個人的な関係 ②主の愛で互いに愛し合う小さな共同体関係 ③皆で主を礼拝
し、共に教会を建て上げる関係

から「いのちの川」は流れ出ると確信しています。一人ひとりがこの3つの関係に歩んでいく中で、いのちの川は豊かに流れていきます。で、10/7(土)、8(日)の『霊修会』にも、この3つの関係の要素を新たに入れました。霊修会では、一人でみことばから主の御声を聞いていく時間を持ちます。その後、聞いた御声を小グループで分かち合っていきます。また、一堂に会して全員で主を賛美し祈る時間を持ちます。このようなサイクルを二日間で三巡しながら、主との交わりを深めていきたいと思います。また、今回は「コロサイ人への手紙」(全4章)を共通のテキストとしました。以上、今回このような「水路」を作りました。皆さん、奮ってご参加ください。初めての方も大歓迎です。神さまに期待していきましょう。

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No.103 10月1日

使徒27章、使徒パウロが囚人としてローマに護送されている途中、ユーラクロンという暴風に出くわし船が難破しかけた時のことです。

「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出発しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。」(20-22)

航海についてド素人のパウロが、専門家の船主も水夫も皆が絶望している時に、尚、「元気を出しなさい」と言えました。私たちは「この世に仕えていくキリスト者」ですが、これほど強力な「仕え方」はありません。他の人より余計に犠牲を払ったとか奉仕したとか、そんな小さなことではありません。皆が、もう何の望みもなくした時に、尚、望みのある言葉を語ったのです。しかし、これこそ、私たちキリスト者に与えられている今日の証ではないでしょうか。本当に希望がない、だから目先の事だけで一生懸命になっている、そういう時こそパウロが言ったような言葉が語れなければなりません。なぜ、パウロはそうあれたのでしょう。23-25節がその答えです。

「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あんたたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。」(23-25)

パウロは、主のおことばを「聞いた」から語れました。10/7日(土)8日(日)の「霊修会」は「聞く集会」です。奮ってご参加ください。私たちは、主のみことばを聞いて「この世に仕えていくキリスト者」でありましょう。

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No.102 9月24日

使徒27章、使徒パウロが囚人としてローマに護送されている途中、ユーラクロンという暴風に出くわし船が難破しかけた時のことです。「太陽も星も見えない日が幾日も続き、激しい暴風が吹きまくるので、私たちが助かる最後の望みも今や絶たれようとしていた。だれも長いこと食事をとらなかったが、そのときパウロが彼らの中に立って、こう言った。

「皆さん。あなたがたは私の忠告を聞き入れて、クレテを出発しなかったら、こんな危害や損失をこうむらなくて済んだのです。しかし、今、お勧めします。元気を出しなさい。」(20-22)

航海についてド素人のパウロが、専門家の船主も水夫も皆が絶望している時に、尚、「元気を出しなさい」と言っていることが心に留まります。私たちは「この世に仕えていくキリスト者」ですが、これほど強力な「仕え方」はありません。他の人より余計に犠牲を払ったとか奉仕したとか、そんな小さなことではありません。皆が、もう何の望みもなくした時に、尚、望みある言葉を語ったのです。しかし、これこそ、私たちキリスト者に与えられている今日の証ではないでしょうか。本当に希望がない、だから目先の事だけで一生懸命になっている、そういう時こそパウロが言ったような言葉が語れなければなりません。なぜ、パウロはそうあれたのでしょう。23-25節がその答えです。

「昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って、こう言いました。『恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あんたたにお与えになったのです。』ですから、皆さん。元気を出しなさい。」

パウロは、主のおことばを「聞いた」から語れました。10/7日(土)8日(日)の「霊修会」は「聞く集会」です。奮ってご参加ください。私たちは、主のみことばを聞いて「この世に仕えていくキリスト者」でありましょう。

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No.101 9月17日

来る10月7日(土)8日(日)は「霊修会」です。霊修会とは「聞く集会」です。ペテロとヨハネは、彼らを脅してくる有力者たちを前にしてこう言いました。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19,20)

なんと確信に満ちた姿でしょう。彼らに「世的な力」はありませんでしたが「神の力」がありました。なぜでしょう。それは、権威ある者からのことばを聞いていたからです。神のことばを聞いたなら、私たちはどんな力に対してもそれに向かって行くことができるのです。「霊修会」とはそのような集会です。

先日私は早天祈祷会にて、今回の霊修会に向かうところの神の語りかけを聞きました。Ⅱ歴代誌32:1-8、アッシリヤの王セナケリブがユダ王国に攻めて来ました。するとヒゼキヤ王は、それをしっかりと見て、つかさや勇士たちと相談し、「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」と、城壁を建て直し、武具を備えました。そしてヒゼキヤと民は神のことばによって奮い立ちました。いつの時代も攻撃はあるものです。今の時代の教会への攻撃とはどのようなものでしょう。私たちは、ヒゼキヤのようにそれを「しっかり見る」必要があります。そしてともに城壁を築き、武具を身に着け、神のことばに奮い立ちたいと願います。いよいよ新会堂建築が着工し、約一年間会堂のない「仮住まい」が始まります。その前に、私たちは「霊修会」で備えてまいりましょう。私たちNGCの2017年度テーマは「新会堂建築をとおして、私たちキリストのからだも建て上げられる」です。

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No.100 9月10日

来る10月7日(土)8日(日)「霊修会」です。霊修会とは「聞く集会」です。ペテロとヨハネは、彼らを脅してくる有力者たちを前にしてこう言いました。

「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」(使徒4:19,20)

なんと確信に満ちた姿でしょう。彼らに「世的な力」はありませんでしたが「神の力」がありました。なぜでしょう。それは、権威ある者からのことばを聞いていたからです。神のことばを聞いたなら、私たちはどんな力に対してもそれに向かって行くことができるのです。「霊修会」とはそのような集会です。

先日私は早天祈祷会にて、今回の霊修会に向かうところの神の語りかけを聞きました。Ⅱ歴代誌32:1-8、アッシリヤの王セナケリブがユダ王国に攻めて来ました。するとヒゼキヤ王は、それをしっかりと見て、つかさや勇士たちと相談し、「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」と、城壁を建て直し、武具を備えました。そしてヒゼキヤと民は神のことばによって奮い立ちました。いつの時代も攻撃はあるものです。今の時代の教会への攻撃とはどのようなものでしょう。私たちは、ヒゼキヤのようにそれを「しっかり見る」必要があります。そしてともに城壁を築き、武具を身に着け、神のことばに奮い立ちたいと願います。いよいよ新会堂建築が着工し、約一年間会堂のない「仮住まい」が始まります。その前に、私たちは「霊修会」で備えてまいりましょう。私たちNGCの2017年度テーマは「新会堂建築をとおして、私たちキリストのからだも建て上げられる」です。

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No.99 9月3日

今回は私の友人の話にお付き合いください。名前は鈴木光利と言います。「みっこちゃん(友人)」と「よこちゃん(私)」の間柄です。みっこちゃんとは、22歳の時、通っていた帯広の教会で出会いました。私は埼玉から憧れて北海道に来ていましたが、彼も同じ動機で山形から来ていました。他にも、同世代、牧場で働いた、そしてクリスチャンと、幾つもの共通点に私たちは感動し、意気投合しました。すると、みっこちゃんは私が住んでいたアパートの隣部屋に引っ越して来て、それから、平日はそれぞれ土建屋さんで働き、日曜日は朝から晩まで教会で奉仕をするという生活が始まりました。一年後には、私は牧師を志して千葉に引っ越すのですが、みっこちゃんと過ごしたその一年間は、最高に楽しく、まさに“いのちほとばしる”一年でした。

その後、みっこちゃんは「敏子さん」と結婚し、夫婦で『十勝プレイズカンパニー』を立ち上げ、シンガーソングライターとして音楽伝道に邁進しました。彼の歌は、ギター一本でシャウト(叫び)系、歌詞は前向きストレート、そしてMCに笑いが絶えません。この夏休みもみっこちゃん夫妻に会ってきました。今は札幌の隣の江別に住んでいて、毎回会う度に新曲を聴くのが楽しみとなっています。今回は『先生』というタイトルの、幼稚園から高校までみっこちゃんの全ての担任の先生から学んだことを歌詞にした曲を歌ってくれました。我が息子が踊りだす程の楽しい曲です。よくぞまあ全ての担任を覚えているものです。

9月には札幌で『十勝プレイズカンパニー』20周年コンサートを開催するとのこと。あれから20年が経ったのです。友の歌をみんなで聴きながら、互いの20年を感慨深く思いながら、「感謝だな~」と幸いなひと時でした。
※みっこちゃんは最近、YouTubeに曲をアップし始めました。「十勝プレイズカンパニー」で検索できます。良かったらお聴きください。

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